「おっ、メレフ。来たな」
メレフは抜き身の剣を携えたまま、左手をあげて応じた。涼しげな顔をしているが、一戦どころか何戦もしてきたようだ。
ハンザック荒野だった地域のはずれーー 世界のありかたが変わっても、ここまで散歩をしにこようなどという奇特なスペルビア人はいないだろう。過酷な弱肉強食で鍛えられたモンスターたちが突如姿を消すわけでもなく、他のエリアと繋がったことから、さらに過酷さが増している。
「こっちにまあ座りや」
「ああ」
剣を納めると、メレフは何度か肩を回してから、ジークからやや距離を置いて座った。
「その様子やと、久方ぶりのようやな」
「まあな。色々と事務仕事に追われていてな。とてもつまらない。どうだ、一戦交えるか?」
僅かに上半身を屈めたメレフは、じっとジークを見つめた。ほんのりと化粧を施された唇が緩やかな弧を描いている。
「あかんあかん。なあ、ワイらそんな目的で会ってるわけちゃうやろ?」
ジークは口の端をひん曲げて、不満を漏らした。メレフは何度か瞬きをしたあと、気まずそうに頬をかいた。
「すまん。その…… まだ、慣れなくてな。どうしていいのか分からないんだ」
彷徨う視線を定めさせるようにその頬を包んでやっても良かったのだが、ジークも思いの外、関係の深化には慎重だった。
「まずはもうちょいこっちに来たらどうや」
ジークとメレフの間には風が通り抜けるに十分な隙間があった。それが心の距離ではないことを願いながら、ジークは自分のすぐ隣を掌で叩いて示した。
「あ、ああ。そうだな」
身体を捩らながら、メレフが距離を詰めた。声は硬く、顎を引いていて表情を読み取れない。両手を膝の上で組み合わせていて、借りてきた猫のようにおとなしい。
世界が変わってもルクスリアの皇子と、スペルビア皇帝の親族で特別執権官という立場は変わらない。こうして忍ぶように逢瀬をしているのも、この関係が国同士の緊張を促進するだけに足るゴシップであることを懸念してのことだった。
「すまない、まだ慣れなくて。こういうのはどうするのが普通なのか分からないんだ」
「メレフのペースでええ。望むのなら、ワイが強引に距離を詰めてもええんやけどなぁ…… ってそないな顔せんでも」
メレフの顔面には警戒心が浮かんでいた。それは殺気だったものではなく、お化けに恐怖する子供のようで、向けられたままの瞳は不安で揺れていた。
「すまない」
「謝らんでもええ。さっきからメレフはすまない、しか言わへんし」
「そうだったな。おっと、また言いそうになった」
メレフが苦笑いを向けると、ジークも同じように笑ってみせた。
「カグツチは大丈夫やったんか?」
「ああ。いくつかお小言は言われたよ」
「せやろうなあ。ワイ、めちゃくちゃ嫌われてるし、カグツチに」
ジークは丸太のように太い腕を組んで、空を見上げた。
「そうでもないさ、本心ではお前のことを認めているようだぞ。彼女は素直じゃないんだ」
「難儀な性格やな。メレフそっくりや」
メレフは嘆息で応じた。
「それで、そっちはどうなんだ?」
「せやなあ…… まあ、カグツチとそう変わらんかな」
ジークは顰めっ面したサイカを思い浮かべた。
サイカはメレフに会いに行くというと、拗ねて口もきいてくれなくなるが、決してメレフを嫌っているわけではないようだ。現にしばらく会っていないと、メレフと会わないのかといちいち聞いてくるのだから。
ブレイドとドライバーの絆は親友のようでも家族のようでもまた夫婦のようでもある。自分のそうした半身の感情が他に向けられるのは、決して面白いものではないのだろう。ジークもメレフもそう理解していた。
「久しぶりぶりだな、その……こうして会うのも」
二の腕が衣服を通して触れ合っている。目を合わせようとしないメレフを、ジークは敢えて追い詰めなかった。肩ぐらい抱いてもと思うのだが、ジーク本人が思う以上にメレフを壊れもののように扱っている。
「そうやったなあ。メレフ、ちょっと雰囲気変わったんちゃうか?」
「そ、そうか?」
そわそわとするメレフが可愛くて、思わず笑ってしまいそうになる。ジークはメレフの手を取って、自分の太い指と絡ませた。メレフはびくりと跳ね上がって、目を泳がせている。
「あかんか?」
ジークが眉尻をさげて尋ねると、メレフは黙したままゆっくりと首を左右に振った。
「どんどん別嬪さんになって。ワイもうかうかしてられへんわ」
「そんなことはないよ。カグツチが少しばかり化粧を施してくれただけさ」
「やけに協力的やな」
「だろう?」
メレフは品よく笑った。
「お前は少しばかり落ち着いたような気がするよ。ルクスリアの次期国王として推す声も聞こえてくるようになっているしな」
メレフの横顔は寂しげだった。浅く伏せられた瞼のその先のまつ毛が僅かに震えている。ぎこちなく握り返された手に、応じるように指を擦り合わせた。
「メレフに釣り合うような男になってきたっちゅーことやな」
ジークはメレフの不安を吹き飛ばすように、朗らかに笑って見せた。メレフはようやく顔をあげて、儚げに笑った。
「もういっそのこと、お互いの国の街中で手ぇ繋いで歩いてみぃへんか?」
「随分と挑戦的だな。どうなるのか分からないが、意外と気づかれなかったりするかもしれないな」
「こんなところで二人きりやと、やることないしなあ……」
ジークは考え込みながら、メレフの艶やかな黒髪に視線を向けた。
ごくり、と喉仏が上下する。
屋外でさすがに手を出すわけにはいかないが、口づけぐらいなら許されるだろう。ジークはそんな感情を腹の底まで押し込んだ。
「ふふ、私は別にやることがなくてもいいさ。こうしているだけでも十分だよ」
楽しげに笑うメレフに、ジークの手が誘われるように伸び、メレフの頰を包み込んだ。カサカサの手のひらに、メレフの瑞々しい肌がついつくように感じられた。
「どうした?」
振り払わないのか。そんな感情が顔に出ていたのだろう。ジークは落ち着いた様子のメレフに向けて、苦笑いを刻んだ。緊張しているのはメレフの方だとばかり思っていたが、実のところはジーク本人もしっかり緊張していたのだった。らしくないと自戒しながら、親指でメレフの頬を撫でた。
「え、ええか?」
メレフは何も言わなかった。少しだけ呆れたように笑うと、瞼をゆっくりと伏せた。
心臓がバクバクと激しく脈打っていた。遊んだことがないわけではないのに、ジークは未経験の少年のようにガチガチに緊張していた。口の中はカラカラで、やけに喉が渇いた。
ゆっくりと顔を近づけると、メレフの髪から甘い香りが漂った。
「メレフ」
名を呼んで、それから……