その1 :
どうしてそのような展開になったのかの経緯は、ベルナデッタにも分からない。
勝利で活気付いた周囲の雰囲気に飲まれた結果、ベルナデッタは酒にも飲まれた。いよいよ横に座っている人間ーそれが誰かも判別がつかないぐらいの状態なので誰かはわからないーに寄り掛かってしまいたくなるような頃合いだった。突如、身体が軽くなり丁重に運ばれ、粗末な宿舎の木製の寝台に横たえられたばかりだ。
ベルナデッタはこめかみに頭痛の気配を感じながら唸り声をあげ、頭をわずかに捩った。そして、恐る恐る重い瞼をあけていくと視界の先に、見慣れた黒衣の男がいた。
(ヒューベルトさん)
ベルナデッタは声に出さずに、彼の名を呼んだ。部屋には灯りがともされていないので、窓から差し込むか細い月明かりだけが頼りだ。そんな室内にヒューベルトの蒼白い肌がぽっかりと浮かんでいる。視界は不確かに揺れて混じり、ベルナデッタには彼がどんな表情をしているのかはわからない。ヒューベルトのことだからきっと呆れているだろうと推量しながら、ベルナデッタは落ちかかった瞼がおりてしまわぬように堪える。
酒精が血液と共に身体中を巡っているのか、熱が出た時のように身体中が淀みなく熱い。吐く息は甘ったるく、湿り気をおびている。ヒューベルトはベルナデッタの視線に気がついているはずだが、口を開こうとはしない。眠るようにと告げるかのように布団を引き寄せて、ベルナデッタの身体を覆うようにかけようとしていた。
こんなときぐらいしかヒューベルトに迫ることはできないのではないか。
ベルナデッタの熱でふやけた頭は、大胆なことを彼女に提示した。仮にヒューベルトとの間に何かが起こったとしても、酒に酔いつぶれて働いたことだと、彼も納得して後に引きずらないのではないか。そして、これからのことがベルナデッタ本人も呆れるぐらいあっという間に、脳内で開かれた会議で決定された。
「ヒューベルトさん」
掛け布団を持つ彼の手首を取って、ベルナデッタは手繰り寄せるように強く引いた。さすがのヒューベルトも不意打ちには対抗できなかったのか、バランスを崩してベルナデッタに倒れ込み、あたかも組み敷いたような体勢になった。
ベルナデッタの顔の正面にヒューベルトの顔があった。ベルナデッタは、こんなに近くで彼の顔を見たのは初めてだった。彼の筋が通った鼻筋は鼻先に向かって気位の高さを表すようにつんと上向いていて、肉付きの少ないせいかくっくりと頬骨が浮かんで見えた。うねった艶のある前髪が垂直に垂れ下がり、揺れる毛先がベルナデッタの頬をくすぐっている。
ここまでしておいて、ベルナデッタはその先のことを何も考えていなかった。どうしようかと考えるよりも、自らの行いが恥ずかしくなった。
酒に頼らなければヒューベルトに迫ることもできない卑怯で惨めな女。引きこもっていたときと何ら変わっていないではないか。
次々と自分を責め立てる感情が込み上げてきて、その声はどんどんと大きく、忙しくなってきた。
ついにその声が無視できなくなって、ベルナデッタの大きな瞳から次から次へと塩っぽい涙が溢れ出てきた。嗚咽の声を堪えようとするが、震える唇では閉じていることも叶わず、ひっ、と短い声が漏れた。
「どうして泣いているのですか?」
ヒューベルトの声は落ち着き払っていて、まるで泣きじゃくる子供に尋ねるような柔らかさすらあった。
「あたしっ…… 卑怯なんです。お酒の力を借りて、ヒューベルトさんと関係しようだなんて。情けなくて、ちゃんと好きですって言えないことが、恥ずかしくて」
ベルナデッタは、感情あふれるままに涙ながらに心情を吐き出した。その中には自らが温めてきた、ヒューベルトへの想いも混ざっていたが、そんなことに気を留める余裕はなかった。
ヒューベルトはそれに対しての感想を述べず、ベルナデッタの横についたままの手を、頬の形にそうように這わせた。
「軽蔑されて当然です。ごめんなさい」
忘れてくださいと言いたいところだったが、それはあまりにも都合が良すぎるとベルナデッタは思った。非難もしないで、親指を円弧を描くように動かして涙をぬぐっているヒューベルトに対して、失礼だと思ったからだ。
そして、今のこの状況はどういった状況なのだろうと、ベルナデッタの鎮まってきた頭に疑問が浮かんできた。頬を撫でるヒューベルトの動きは決して滑らかなものではなくぎこちなさすら感じるが、押し倒したような体制のままどうしてそうしているのかはわからない。ヒューベルトの手のひらが恋しくなって、ベルナデッタは頬を預けるようにわずかに頭を動かした。
「あの…… えっと」
直線上にヒューベルトの深い黄金色の瞳があって、ベルナデッタの視線と交わった。何か尋ねようも思っても、彼の瞳には不思議な魔力があるのか、ベルナデッタは何も言葉にできそうにない。すっかり彼の術に囚われているかのように半ば身体が硬直している。
ヒューベルトの唇は緩やかな弧を描いていて、ベルナデッタの胸がざわついた。急にそわそわとしはじめたのは、酒精のせいだけではないと思ったのは、心音の騒がしさに胸が締め付けられて息苦しくなったからだ。
ヒューベルトとの間に漂いはじめたただならぬ空気を感じたその時だった。ヒューベルトが僅かに上半身を曲げ、鼻先と鼻先がふれあい、それからベルナデッタが何らかの反応を示す前に、唇と唇が合わさった。
押し当てられているというよりも、触れ合わせているというほうが適当な加減。それでも間違いなく、口付けを交わしている。ベルナデッタはヒューベルトの袖を縋るように掴んだ。ヒューベルトがベルナデッタに寄りかかりすぎないように気を払っているのか、寝台がぎしりと悲鳴をあげた。
「これで共犯ですな。私もまた酔いつぶれているという貴殿の窮状に乗じて、このようなことをしたのですから」
ヒューベルトは悪戯が成功した子供のように笑っていた。ベルナデッタも頬をすっかり上気させたまま、笑顔を返した。
「期待しちゃいますよ、あたし。もうほんとに引き返せなくなっても知りませんから」
「ええ、どうぞ」
そんなやりとりのあと、ヒューベルトとベルナデッタはまるで挨拶をかわすように口付けをしてくすくすと笑い合う。
はじめからヒューベルトがそのつもりで運び役になったかどうかは分からない。そうだったとしてもそうでなかったとしても、今のベルナデッタにはもうどうでもよいことであった。