Act 1 kiss

 ――怯えている。
 ヒューベルトは扉のノブを握ったままベルナデッタを見てすぐさま、彼女から全力で身構えられてしまっていることを察した。ヒューベルトはちょうど部屋に入ろうとしたところで、ベルナデッタには触れていない。許可を得てから入室しているので、驚かせたつもりもなかった。ベルナデッタは枕を力いっぱい抱き締めたままじっとヒューベルトを観察するような眼差しを向けた後、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせて、すっと顔を背けてしまった。
「ベルナデッタ殿?」
 ヒューベルトがベルナデッタの一連の態度を不審に思って呼びかけると、ベルナデッタから「ひぎゃっ」という悲鳴があがった。例えるならばそれは、ガルク=マクの士官学校で出会ったころの彼女のような反応だった。
「すっかり怯えているようですが……」
 まだ何もしていないのに、という言葉をヒューベルトは喉の奥に引っ込める。
 大声で叫ばれて気絶されなかっただけマシだと、ヒューベルトは思った。前日までは毎日ほぼ寝ずの勢いで執務を片付けてきたため、頭の中に泥が蓄積したような状況で、怜悧さは損なわれている。頭の片隅には気がかりなことがいくつもあり、式の直前まで浮かない顔をしていたのだろう、仕事のことは考えるなと主君に釘を刺されたばかりであった。
「ベルたち夫婦になったんですから、このお部屋に来ることはもちろんそう思っていましたそど、いざその時になると、やっぱりそうなんだって」
「やっぱり?」
 ヒューベルトはベルナデッタの曖昧な表現が気になって尋ね返した。ベルナデッタはちらちらとヒューベルトの方を見ては目を逸らし、何かを言いにくそうなそぶりを見せた。
「ひゅ、ヒューベルトさんもえっちなことしたいんだなぁって、そういう、そのぅ…… そういう雰囲気じゃないっていいますかぁ。だから、やっぱり、なんです。ヒューベルトさんも男のひとなんですねぇ」
「直接的に表現されると、さすがの私でもこの部屋か逃げ出したくなります」
 ヒューベルトはそう言ってから軽い咳払いをすると、ベルナデッタから目を背けた。いつもと変わらぬ自分でいると思っているが、ベルナデッタにはどういった姿で見えているのか、ヒューベルトは気になった。
「ええと、お、怒ってますか?」
「いえ。貴殿がそういう風に思う理由が、あるからではないですか?」
 右掌を天井に向けて腕を振る仕草をしながら問いかけると、ベルナデッタは小さく一度だけ頷き、決意したかのように姿勢を改めた。
「ベルたち、結婚する前だって、そんなに、そのぅ、してこなかったじゃないですかぁ、キスとか、抱き合うとか…… だから、想像ができなくて、ヒューベルトさんがそういうことしたいと思っているとか」
「なるほど」
 確かにベルナデッタの言う通り、結婚を申し込んだときにはじめてベルナデッタを抱き締めたようなもので、ヒューベルトとベルナデッタは愛を確かめ合った男女が経るべき過程をすっ飛ばしていた。
 ヒューベルトは戦後、領の統治の補助として定期的にヴァーリ領を訪れていた。未経験にもかかわらず責任ある立場をいきなりベルナデッタ一人に任せるのは不安があるから、が理由だった。一節に一度程度の訪問は一年ほど続き、他人の期待に応えようとする幼少期の悪癖が良い方に作用したのか、彼女はめきめきと領主としての能力を発揮していった。
 もういよいよ補佐の任も降りるべきかと思ったとき、ヒューベルトはひどくがっかりした気分でいる自分がいることに気が付いた。政治的な欲望や策略とは全く無縁のベルナデッタとのひと時は、ヒューベルトにとって一時の安らぎの場となってしまっていた。そこからどうして結婚を申し込んだのか、当の本人もその時の感情を適切に表現する術がないのだが、ベルナデッタを妻に迎えることが自分にとって最善で最良だと思ったのだった。
 それは、月に一度の訪問でのベルナデッタの報告書をなぞりながらの助言が終わった後の中庭での茶会の場の出来事である。仲睦まじく毛づくろいをしあうつがいと思しき小鳥を見つけたベルナデッタが、自分もそういう相手を望んでいることを漏らしたのがキッカケになった。ヒューベルトは指輪も段取りもしないまま「それでは、私と結婚するというのはいかがでしょうか」と言葉にしていたのだった。
 二人の周囲の人物によれば、ヒューベルトの好意は明らかだった。しかし、当の本人に自覚もなければ、その相手であるベルナデッタにも伝わっていなかった。ただでさえ多忙を極めるヒューベルトが一節に一度程度とはいえ、ヴァーリ領だけは訪問の上で補佐をしていたことはその一例である。帝都アンヴァルからヴァーリへはずっと馬を走らせても一日はゆうにかかる。そんな領地までわざわざ皇帝の右腕が出向くこと自体が異例なのだ。ベルナデッタはそれが特別なことであることはさすがに理解はしていたものの、その背景には少なからず彼女への隠れされた想いがあったことまでは分からなかったようだ。全ては彼女の自己評価の低さによるものだった。
「ヒューベルトさんってば、いきなり結婚するのはどうでしょうか、って言いだすんですもの。それまで全然、ベルのこと好きだとかそういう素振りみせてなかったからびっくりしましたよ」
「返す言葉が見つかりません」
「だから、ヒューベルトさんとああいうことが、なんていうか、結びつかないんです、まだ」
 言葉を選びながらおそるおそる問いかけてきたベルナデッタに、ヒューベルトは片眉を跳ね上げた。それからしばらく考え「確かにそうですな」と答えた。
「あたしのこと、好き、ですか?」
 ベルナデッタの問いかけに、ヒューベルトは普段は見せないような力ない笑みを浮かべて「そうですよ」と答ると、ベルナデッタは頬を緩めて「えへへ」と言って照れ笑った。ヒューベルトはベルナデッタのことを特別な存在だと思っている。ただ、フェルディナントのように好意を熱く語る口は持ち合わせていないため、それをうまく伝えることができないだけであった。
「ちなみに、ヒューベルトさんって…… 女の人との経験はぁ、えっとぉ」
「ございません、と言いたいところですが」
「やっぱりそうですよねぇ。いいんです、そこは気にしていないんですけど」
 ヒューベルトは正直に答えた後に、少しだけ後悔した。
 嘘をついたところでそのうち知ることになると思っていても、目の前のベルナデッタの何とも言えないような反応は、女性経験については彼女に知らせなくても良かった情報ではないかと思ったからだった。ヒューベルトは職務上身体的な接触を行わざるをえないときがあったし、そうではなくとも、貴族の男性はたいてい、若いうちに女を与えられた。それは正妻でもなければ、愛人という意味でもなく、ただ経験をさせるためだけのものだ。情愛のもとに行われた行為であってもなくても、やはり気にするのは理解できる。ベルナデッタは見る限り落ち込んだりしている様子はないものの、ヒューベルトにどう思われるのか不安であることは伺えた。仄かにさした紅が少しだけ窄められて、戸惑いが浮かぶベルナデッタの眼差しは、彼女をいつもより大人に見せた。
「気にしていないとは言っても、やっぱりそのう…… 色々、ベルには自信がなくて」
「気後れすることはございませんよ」
「まだ、なんにも見ていないのに? べ、ベルのは、裸とかぁ……」
 ベルナデッタは両手で顔を覆ってしまった。横髪から覗く耳朶が真っ赤に染まっていて、掌の向こう側から「ううう」とうめき声が漏れてきた。
「全てを晒していただかなくても、貴殿の魅力は伝わっております」
「な、なんだかフェルディナントさんみたいなこと言うんですねぇ、ヒューベルトさん」
 顔を覆ったままのベルナデッタが、指と指の隙間から疑惑の視線を向けてきた。らしからぬ言葉は、嬉しいどころか、一つも響かなかったようだ。ヒューベルトは参った表情で首筋をさすりながら「嘘ではないのですが」と返すのがやっとだった。
「嘘じゃないにしても、現に、これまで全然、ベルに触れてくれなかったじゃないですか」
「そうでしたか?」
「そーです、ベル、記憶力はいい方ですからね」
「うまく言えませんが…… どうお伝えしたらいいのか」
 ヒューベルトは一度言葉を切って、少しだけ間を置いた。興奮しはじめたベルナデッタを落ち着かせようと、ヒューベルトはベルナデッタの隣に腰掛けると、彼女の手を取った。
「ひやあああ。手、手をぉ……」
「お嫌ですか?」
 触れてくれないと言って不貞腐れる癖に、触れると大騒ぎする。女性の扱いほど難しいものはないな、とヒューベルトは痛感した。
「嫌じゃないですけど…… ちょっと、どきっとしただけです。急にだったし。でもぉ……」
「でも?」
「ベル、嬉しいです」
 ベルナデッタは小さな声でぼそっと言うと、ぎゅっとヒューベルトの手を握り返してきた。握りあった部分はほんのり温かく、お互いの呼吸が重なり合うようだった。ベルナデッタは弓兵ということもあって掌の皮膚は硬かったが、ヒューベルトの節くれだった骨っぽい手に比べるとずっと柔らかく感じた。
「それは何よりです。しかし、貴殿はまだ私と触れ合うことに恐れを抱いているように思えます。それは私の本意ではございません」
 ヒューベルトはゆっくりした口調で切り出すと、ずっと遠くの方を見るような眼差しを窓の方へと向けた。
「そ、それは…… あたしはまだ、知らない、から、おとこのひとのこと」
「ええ、そのようで」
 ヒューベルトはベルナデッタの手の甲を親指で何度か撫でた。その肌は瑞々しく滑らかな感触で、緊張からか僅かにひんやりとしていた。彼女の様子を窺うと、何かを妄想したのか、顔は真っ赤だった。
「貴殿の心が落ち着くまで、しばらくは別室で眠っても良いのですよ。少しずつ関係を深めていけばいいと思っています。慌てずとも我等は夫婦ですから、いずれ自然と機会が訪れるでしょう」
「それは駄目です、ダメダメ、絶対に、絶対、行かないでくださいッ。いずれ、っていつになるか分からないじゃないですか」
 ベルナデッタの声量が急に跳ねあがり、慌てて立ち上がったかと思うと、ヒューベルトの正面に立ちふさがるよう立ち、両手を取って引き留めるように揺すった。
 ヒューベルトは多忙だ。ベルナデッタを妻に迎えたとしても、彼の役目も職務も変わることはない。二人は夫婦になったが、しばらくはベルナデッタはヴァーリに住み、ヒューベルトは帝都で宮内卿としての役目を果たすことが決まっている。将来的な同居は計画しているものの、実際の時期は未定であり、そもそも夫婦として過ごせる時間は他の夫婦よりずっと少なくなることが決まっていた。だから、ベルナデッタが必死になって引き留めるのも分からなくはなかった。戦場では緻密な戦略を講じ、時に大胆な策に打って出ることもあるヒューベルトだったが、ベルナデッタが相手ともなると、途端にその勢いはなくなってしまう。傷つけたくない、という感情が先に立ち、無理矢理押し倒しても彼女が本当の意味で嫌がったりしないことが頭の中で分かっていても、そうすることはできなかった。
「やだ、やです。そんなことしたら、ヒューベルトさん、きっとベル以外の他の女にぃ、だからぁ……」
「私はそういった浅はかな行動は致しません。ご安心ください」
「でもぉ…… でも、でもッ あたし、大丈夫ですから、せめて一緒に寝てください」
 ベルナデッタの声でどんどん揺れて、下瞼にぷくりと涙が滲んだ。ヒューベルトの手を手繰り寄せるように引いたまま、首を何度も左右に振ると、涙がキラキラと輝いて飛び散った。
「ベルナデッタ殿、ベルナデッタ…… どうか顔をあげていただけませんか?」
「は、はい……」
 ヒューベルトの問いかけに応じて顔をあげたベルナデッタの顔は真っ赤で、白目は兎のように赤くなり、頬は涙で濡れ、横髪が張り付いていた。ヒューベルトはそれをそっと取り除いてやりながら「嗚呼、泣かないでください」と穏やかな声でベルナデッタを諭した。仲間に祝福され、歓びと笑顔に包まれた一日の最後が台無しになってしまっている。優しくしようと気遣っても、それがかえって、ベルナデッタを不安に陥れ、傷付ける結果になっている。ヒューベルトは夫となった初日から、自らの幸先に僅かに不安を覚えた。
「まずは座ってください」
 ヒューベルトが自らの隣を指し示すように目を剥けると、ベルナデッタはしゃくりあげながら小さく首を縦に振って、腰掛けた。
「少しずつ、深めていきましょう。いずれ、と言えば貴殿は不安になるようですから。少しずつ、を決めるというのはいかがでしょうか」
「少しずつ、ですか?」
「ええ、そうです。一つ一つ関係を作っていきましょう、というご提案ですよ」 
「一つ、一つ、ですか?」
 ベルナデッタは小首を傾げながら、ヒューベルトの方を見ている。涙はひっこんだように見えたが、鼻の先が真っ赤になっていた。彼女の不安やよからぬ妄想は薄れたように見えたが、まだ油断ならない状況だった。ヒューベルトは再びベルナデッタの手を取ると、そっと包み込んだ。
「ええ、例えば……」
「例えば?」
 ヒューベルトは上半身を僅かに屈めると、自身の額をベルナデッタの額に近づけ、至近距離で黄金色の瞳でじっとベルナデッタを見つめた。ベルナデッタの瞳はこれでもかと大きく見開かれ、息をすることも忘れたのかと唇をぎゅっと引き結び、瞬きもしなかった。彼女はしばらくの間、両肩を跳ね上げ、身体をこわばらせたまま、ヒューベルトを見ていた。
「口付けからはじめる、とか」
「く、くちづけ、か、からですかぁ」
 間の抜けた声でベルナデッタが問いかけすと、ヒューベルトは手を伸ばして、ベルナデッタの頬に自身の掌を添えた。ベルナデッタの頬は先ほどの涙でしっとりとしていて、ヒューベルトの掌に吸い付いてきた。
「ええ、いけませんか? それすらも、お嫌だと……」
「そんなことはないですけど、お顔が近すぎませんか? あ、あたし、死んじゃうかも」
 ベルナデッタの目が上下左右を慌ただしく泳ぎ始めた。その声はすっかり掠れて上ずり、狼狽えているさまがヒューベルトにあからさまな形で伝わった。少しいじめすぎたかと、ヒューベルトはあっさりベルナデッタを解放すると、くつくつを喉の奥で笑った。やはり彼女には時期尚早なのだ。ヒューベルトはそう結論づけた。
「もう、わ、笑わないでくださいよ。いきなりすぎたので、びっくりしたんです。もうっ、心の準備ってものがあるじゃないですか」
「では、何をするのか言葉にしてから許可を得ればよい、と?」
「そういう問題じゃないんですッ。もう、ヒューベルトさんの意地悪」
 ベルナデッタは頬をぷっくりと膨らませて、ヒューベルトの別の方向に身体を向けてしまったが、すぐさま「でも」といってその顔がヒューベルトの方に振りむいた。
「ベル、ヒューベルトさんの提案はとってもいいと思います。もちろん、き、キスからでも、ベルは、構わないですよ?でも、その前に、お願いがあるんですけど」
「何なりと」
「ぎゅ…… ぎゅっとしてもいいですか? ええっと、やっぱり、ダメですかね」
 身体を捩らせながら恥ずかしそうにしているベルナデッタの渾身の申し入れに対し、ヒューベルトは一瞬、目を丸くしてから「いいですよ」と穏やかな声で返答した。
 ベルナデッタはしばらく迷う様子を見せたのち、倒れこむようにヒューベルトの胸に飛び込んできた。真っ赤になった顔を見せたくないとヒューベルトの胸にぎゅっと押し付けて「大好きです」と言い、それからすっかり黙ってしまった。ベルナデッタは思っていたよりも小さく、鼻先に触れた彼女のすみれ色の髪からほんのりと湯浴みの後の香りが立ち上っていた。ヒューベルトはぎこちない手付きで彼女の背に掌をそっと這わせた。
「痛くはありませんか?」
「そんなことありませんけど…… どうしてそんなこを聞くんですか?」
「力の加減が分からないのです…… この手は人を屠るに慣れ適しております。そして、誰かを愛でることに慣れおりません」
 ヒューベルトが言い終えるのを待ったのか、ベルナデッタがゆっくりと顔を上げた。
「そんなこと、ないですよ」
 ベルナデッタはそう言い切ると、ヒューベルトの手を取って自らの頬にそっとあてがい、瞼を伏せた。
「ヒューベルトさんは優しい人です。ベルのこの手だって、同じことです。沢山の人を殺めてきました。それがどんな理由でも、変わらないじゃないですか。今更、ですよ。ヒューベルトさんも少しずつ慣れていけばいいんじゃないですか? えへへ、そういうことです。ベルも、ヒューベルトさんも一緒」
 満ち足りた表情をみせるベルナデッタに、ヒューベルトは大きく息を吐いた。ため息ではなく、観念した気分だった。
「抗えませんな、貴殿には」
「えへへ、良い妻だと思いますか?」
「ええ。悔しいほどに…… 良き相手を妻に迎えました」
 一抹の悔しさを鼻で笑い飛ばし、自嘲に歪んだ唇からふっと短く吐息が漏れた。それからヒューベルトは自らの手を滑らせるようにして、ベルナデッタをやんわりと包むように抱きしめた。
「ねぇ、ヒューベルトさん。ベルのこと、好き、ですか?」
 ヒューベルトの腕の中にいるベルナデッタの声はよわよわしく、今にも消えていきそうに思えた。先ほども同じような問いかけがあり、その時にはヒューベルトはただ同意したに過ぎなかった。しかし、それでは伝わらないのだろう。
「ベルナデッタ」
「あたしみたいなの、どうして、って思うんです。明日になったら全て夢だったりするのかもしれないって」
「これは現実ですよ……」
 顔を上げ、ヒューベルトを上目遣いにみるベルナデッタの頬にヒューベルトは自らの掌を添えた。指に彼女の横紙を絡ませながら、なだらかな頬に親指を滑らせ、迷いで揺れる瞳をじっと見つめる。静かな心の海にさざ波が起きてきた。彼女に触れたいという感情が自らの中にあることをヒューベルトは自覚した。
「ヒューベルトさん、ベルのこと、好き、ですか?」
「ええ、ええ…… お慕いしております。私はもう、貴殿から離れられないようだ」
 ヒューベルトは噛みしめるように想いの丈を伝えると、ベルナデッタの僅かに開いた唇にそっと自身の唇を合わせた。ベルナデッタは抵抗はしなかったが、驚いたようで、しばらくその量の瞳が大きく開かれていたが、しばらくしてゆっくりと瞼が伏せられた。
「ヒューベルトさん」
「何やら気恥ずかしいものですな」
「あたしもです」
 至近距離で笑い合って、それから、もう一度優しく唇を合わせる。先ほどまで穏やかだった心音が少しずつ速度をあげて、しっかりと脈を打ち始めた。両手を合わせて絡め、指と指を擦りあい、息継ぎをするように一度顔を離して、それから、また口付ける。
「これから少しずつ、深めてまいりましょう」
「は、はい……」
 ベルナデッタは息を僅かに弾ませているようで、恥ずかしそうに身体を捩らせながら、ヒューベルトの肩口に額を乗せて身体を預けた。ぎゅっとヒューベルトの衣服を握るいじらしい仕草に、ヒューベルトは眼を細めた。結婚する直前までごく親しい友人のような間柄から、ようやく、スタート地点に立ったような気分だった。

 その夜は、二人で並んで、抱き合うように眠った。