イヤサキ村のコルレル宅で宿泊するのは久しぶりだった。ホムラとコルレルの二人で作った料理は長テーブルに乗り切らないほど並べられ、とても食べられる量ではないと誰もが思ったが、育ちざかりのレックスと、食いしん坊のトラと、貧乏癖がついてしまったのかこれでもかと腹に詰め込もうとするジークの三名により駆逐された。メレフは音を立てながら食事をかきこむ男性陣をよそに、どこにいてもスペルビアの気位を忘れず、背筋を伸ばしてゆっくりと料理を楽しんだ。
ホムラが戻ってきて、こうして穏やかな時間を過ごしているものの、未だ全てに決着がついていない。これから世界樹に真実(こたえ)を求めに行くのだ。一年もたっていないのに、メレフの周囲は目まぐるしく変化した。心から信じられるのはカグツチと義弟(ネフェル)だったはずが、今では「友人」と呼べる仲間がいて、互いの不足している部分を補い合い、まるで家族のような形を成している。その変化にようやく馴染んできたとはいえ、やはり、どこか違和感もある。こうしてなれ合ってしまえば、元のメレフ=ラハットに戻れないのではないかという恐れだった。その不安が急に首を出した。メレフは寝苦しさを覚え、静まり返った女性部屋をそっと抜け出した。
コルレルの家を出て、日中はレックスのようなサルべージャーを目指す子供たちで賑わっている崖の方へと歩き出しす。眼前の世界樹はただ静かにそこにあって、これからそこの内部に向かう実感はあまりない。淡い光をまとった世界樹に、メレフは眼を細めた。
空気に水分が多く含まれているようだった。スペルビア出身のメレフはこうした気候に身体がなかなか適応しない。息を浅く吐いて、シャツの襟もとを緩める。それから、メレフは腰を下ろした。幼いころ、様々なことが受け止めきれずに眠れない夜を数えきれないほど過ごしたときがあった。そんなときはカグツチがいつもそばにいて、まるで母のように抱き締めてくれたものだ。さすがに今はそういうわけにはいかないが、あの独特の温もりと安堵感が恋しくなるときがある。
「メレフ、抜け出しおってどないしたんや」
背後から声をかけられてメレフは振り返ったが、すぐさまその彼から視線を背けた。
「邪魔をするな。少し考え事だ」
「相変わらずつれへんなぁ。そないに警戒せんでもええやろ」
ジークはどこまで本気でどこまで冗談なのか、メレフにはよく分からなかった。自分は友好的ですと見せかけて、彼はどことなく他人と距離を取っている。こうして調子よく声をかけてきたとしても、メレフには彼の本心は測りかねた。少なくとも、中途半端に近寄るぐらいであれば、近寄らないでもらいたいとすら思っている。
「眠れんのか」
あからさまに邪険に扱ったつもりが、ジークは分からないのだろうか。それとも、敢えて無視をしているのだろうか。頼みもしないのに隣に腰を下ろすと、彼は胡坐をかいた。
「お前に話す必要はない」
「なんや、頑なやな」
本心ではない癖にと、メレフは世界樹を見つめるジークの横顔を盗み見た。彼は気に留めた様子もなく、その唇は緩やかに弧を描いている。
「いろんなことがあったしな。ワイもなかなかそうやな、ルクスリアの件では正直なところ受け止めきれへんこともある」
頼んでもいないのに話し始めたジークに、メレフは視線を雲海へと向けた。彼の全てが虚構だったといっても過言ではないルクスリアの真実は、確かにジークにとっては大きな出来事だっただろう。ただそれはあくまでもメレフの中の一つの想像であった。
「まぁ、生きてくしかあらへんし。ルクスリアを良くしてかなあかんちゅーことには変わりない。過去がどうであれ、どないしようもないし、これからのことを考えていかなあかんわけや」
「そうだな」
メレフは短く同意を示した。
「で、メレフは何を考えとったんや」
自分が話をしたから次はメレフの番だというように、ジークはメレフの退路を塞いだ。真面目なメレフは、その信条に従えば答えざるをなかった。相手の本心だけ聞いて自分だけ離さないというのは、不義理だからだ。耳でも塞いでいればよかったと思いながら、メレフは短く息を吐く。
「お前と変わらないさ」
「頑なやなほんまに。あんさん、そないなことで疲れへんのか」
「少なくともお前には話をしたくない、ということだ」
肩を竦めて、メレフは艶やかな表情で笑った。それを、女狐と呼ぶ連中もいるなと思いながら、メレフは肩を少しだけ上下させた。ジークは面白くなさそうにしているものの、メレフが望む通りここから立ち去ろうとはしない。
「疲れとるときはな、こうしたらええっていうんや」
両手を広げたジークが満面の笑みで、メレフを見ていた。一体突然どうしたものかと、メレフは言葉を失い、目を丸くした。
「どういうことだ」
「つまり、こういうことや」
メレフは一瞬のスキを突かれた。手首を引かれ、そのままジークの胸元に雪崩れ込む。そのまま羽交い絞めにされるように包まれ、抑え込むように頭頂部に彼の顎が置かれた。
「どや」
「なっ、何がだ。は、離せ! 誰かに見られたらどうするんだ」
「ここはルクスリアやスペルビアやない。安心せい」
「できるか!」
メレフは身体を捩らせて脱出を試みるも、体格差があり敵わない。抵抗を想定してか、これでもかと力が込められていて、息苦しいぐらいだ。乗せられた顎に頭突きでもくらわせて逃げ出すことも考えたが、更に面倒なことになりそうだと、メレフはあっさりと抵抗をあきらめた。もうどうにでもなれと、ため息をついて、身体を脱力させた。
ジークの素肌に頬があたっている。彼が息をするたびに動き、彼の生命を感じる。それは、カグツチに抱かれているときとまた違った感覚だった。目の前に鈍く輝くサイカの命を分けたコアが目に入る。こんなことをして彼女に申し訳ないと思うと、見ていられずに、メレフは視線を逸らした。
「なんとなく落ち着くやろ」
「答えるつもりはない」
「素直やないなぁ」
「変なところを触ったらただではおかないぞ」
「へいへい」
一般的には抱き締められているというのだろう。年齢が近い友人のはずで、恋人ではないはずだ。そういったことに縁がないメレフであっても、このようなことは恋仲においてなされる行為だということぐらい分かっている。彼の本心は分からないが、尋ねたところで、友人ではなくなる気がして、問いかけは喉元のあたりでとどまった。
「なぁ—— 楽園には何があるんやろうなぁ。正直なところ、ワイは楽園なんてないかもしれへんって思うとるんや」
「ずいぶんと後ろ向きだな。確かに、モルスの地、そしてそこから続く世界樹への入り口を目にすれば、冷静に考えてそう感じても仕方ないだろうな」
あの荒廃した地と、そこから続く高度な文明を思わせる区画。一口に楽園と称させる場所が、それぞれが思い描く場所ではない可能性が高いことを示している。メレフもジークもレックスのように穢れを知らない真っすぐな少年少女ではない。世界は不都合なものを包含しながらも平穏と見せかけて、何事もないようにただ未来へと進んでいることを理解している。ジークの温もりに包まれながら、メレフは身体を僅かに動かす。彼に背後から包まれるような形で世界樹を見据えた。
「とはいえ、真実は知らねばならないだろうな」
「そやな。それからまた切り開いていけばええ」
ジークの力が緩まった。
「そうだな、だが、いつまでもこうされる覚えはない―― な!」
メレフはジークの手首を取って、ひねり上げた。スペルビア軍仕込みの護身術である。さすがのジークも悲鳴をあげて飛びのいた。
「隙を見せたお前が悪い」
ひーひー言いながら手首をさするジークに、メレフは世界樹を背後に腰に手をあてて向き合った。
「もうちょっと優しくしてくれてもええやん」
「かなり手加減をした。ここから先、全てのことを行うとお前の手首をへし折っているのだからな」
「無体な!」
「何とでもいえ」
正直なところ、ジークの体温でメレフはすっかり眠気を覚えていた。あのままで眠るわけにはいかないし、メレフは現時点でジークとの関係を違った形にするつもりはなかった。いずれにせよ、友人でなくなったとしても、きっと結ばれることはないのだろうから。そんな気持ちが心のどこかにあるのかもしれない。
メレフは表情を悟られないようジークに背を向けて、コルレル宅へと引き返した。どうしてだろうか、彼との関係性を思うと胸が不思議と苦しくなる。どんな顔をしているかは分からないが、彼には決して見せたくはなかった。
追いかけてくるジークの声を背後に受けながら、メレフは空を見上げた。