ヒューベルト=フォン=ベストラは変わったのか - 3/5

 ヒューベルト ベルナデッタ夫妻が、二人揃って、皇帝エーデルガルトとその皇配ベレトに面会するのは、彼等の挙式以来となる。二人は光沢感のある黒い衣装を身に纏い、ベルナデッタは、長身のヒューベルトに隠れるようにして、すっかり眉尻をさげ、心もとない表情を浮かべていた。入室を許可するまで、開け放たれた扉の前で一歩も動かないのは、ヒューベルトらしいと、エーデルガルトは苦笑した。
「あっ、せ、せんせぇ! お久しぶりです」
 ベレトに会えたのが嬉しかったのだろう。精気が抜けたようにおとなしかったベルナデッタが、もろ手をあげ、声を跳ね上げた。すかさずヒューベルトから合図のように咳払いがあり、ベルナデッタはしゅんとして萎んでしてしまった。年頃の娘のようにはしゃぐと、ああやってヒューベルトに嗜められた記憶がエーデルガルトにもあって、目の前のベルナデッタと重なった。
「いいんだ、ヒューベルト。久しぶりだね、ベルナデッタ。元気そうで何よりだ」
「は、はいい。えっとお、こ、皇配殿下におかれましては、ええっと、その、ご機嫌麗しく……」
 ベルナデッタは小刻みに震えながら、不慣れな言葉づかいで挨拶を試みようとして、舌を噛んだ。
「いいんだよ、ベルナデッタ。改まらなくてもいいんだ」
 ベレトが許しても、ヒューベルトが許さないのだろうか。エーデルガルトは黙して、彼の動静を窺うように、ヒューベルトを見た。彼の頬は微動だにせず、のっぺりとしていた。当のベルナデッタは眉尻を下げて、どうしたらいいのか分からない様子で、弱り切った様子で唇を噛んでいる。
 こうして改めて二人を見ると、エーデルガルトは本当に彼等が愛し合って結ばれたのかと不安になった。
エーデルガルトは、ヒューベルトが彼女の動揺に対して、どう対処するのか興味があった。彼女を叱りつけたりしないだろうかなどと思うと、胸がざわついて落ち着かない。ベルナデッタの緊張がエーデルガルトにまで伝わっているようで、掌にじんわりと汗をかいている。
「で、でも。でも…… ベル、ちゃんとしないと、だって……」
 ベルナデッタは小さな声で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「ベルナデッタ、お言葉に甘えましょうか」
 ベルナデッタの言葉を打ち切って、ヒューベルトは耳打ちするような声で諭した。他人の感情に敏感なベルナデッタは、不安が拭えないのか、口を引き結んだままだ。
「さあ、座って。ベルナデッタのために、エーデルガルトが選んだ茶葉だよ。君の好みだと思う」
 エーデルガルトは一連の状況に言葉を失っていた。何とか笑顔は作っているものの、全く会話の内容が入ってこず、二人を誘ったのは失敗だったと思いはじめていた。そんなことは気にも留めないのか、隣席のベレトは何事もないかのように会を進めていく。エーデルガルトは、そんなベレトの横顔を見つめながら、彼を誇らしく感じた。
「緊張しなくてもいいわ。あなたも、ヒューベルトも、私の学友でそして戦友でもあるのだから」
 エーデルガルトも気を取り直して、ベルナデッタに声をかけた。
「勿体ないお言葉です」
 ヒューベルトが腕を緩やかに振り下ろして、礼をする。やや後ろのベルナデッタは聞こえるか聞こえないか聞き取れないような声で礼を言ったのかもしれない。不安に揺れる灰色の大きな瞳は、どこを見ているのか分からなかった。
「さあ、ベルナデッタ、座りましょう」
 催眠術にかけるような緩やかな声で、ヒューベルトはベルナデッタに語りかけた。彼女の背を促すように撫でたのだろうか。ベルナデッタは、ヒューベルトを見上げて頷くと、二人は息を合わせたかのように揃って着席した。
「先日は昼食をありがとう。とても美味しかったわ」
 ベルナデッタの張り詰めた糸をほぐそうと、エーデルガルトは彼女の手料理のことに触れた。みるみる彼女の頬が和らぎ、不安で揺れていた瞳が透き通っていくのが手に取るように分かる。
「本当ですか? お口に合うかどうか心配だったんですけど。良かったです」
 ベルナデッタは両掌をぽんとあわせて、朗らかに微笑んだ。
「それは残念だ。俺も食べたかったな」
「じゃあ、今度は先生の分も作りますね」
 はじめはどうなることかと思われた茶会も、何とか順調に進みはじめた。凍ったように、カチコチに固まり、お茶を飲もうとしなかったベルナデッタが、遠慮がちであるものの少しずつ茶菓子を口にしはじめたので、エーデルガルトはほっと胸を撫で下ろした。
「あのう、お茶会ですので、焼菓子を作ってきたんです。お呼ばれして何もお持ちしないのも失礼ですから。宮城におつとめの方の腕には劣るんですけど、ご迷惑でなければ」
 そう言ってベルナデッタは円卓の上に置くと、周囲の反応を気にしながら包みを解いた。香ばしい香りが、エーデルガルトの鼻を擽った。
「君の焼菓子は久しぶりだね」
「ヒューベルトはいつも食べてるんでしょ。羨ましいわ」
 先ほどから黙々とテフを飲んでいるヒューベルトに、エーデルガルトは話を振った。彼はこうした場にあっても、全く自分の調子を崩さない。まるで彼一人別の空間にいるようでもあった。それは、妻のベルナデッタを連れ立っていても変わらないようだ。
「私は甘いものは好みませんので、なかなか預かることはないのですが……」
 「ああはいそうですか」と、エーデルガルトは心の内で呟いて、つまらない顔をした。ベルナデッタは、こんな無感情な人間といて楽しいのだろうか。エーデルガルトの瞳の中のベルナデッタは、何も気にしていない様子で、陽だまりのような笑顔を夫に向けている。少なくとも、彼女はヒューベルトを愛しているのだろうと、エーデルガルトは思った。
 片手で摘んで一口で食べられる上品な大きさの丸い焼菓子は、聞けば昨年にヴァーリ領でベルナデッタが集めた木の実を乾燥させてくだいたものが練り込まれていて、噛めば香ばしい香りが口いっぱいに広がった。一同が口々においしいと、ひねりのない感想を述べると、ベルナデッタは恥ずかしげに頬を緩めた。
 そんな妻の様子を見つめるヒューベルトの視線は、常日頃の研ぎ澄まされた槍先のような鋭さはない。今日はじめて、エーデルガルトは、ヒューベルトが彼女に向ける眼差しに、特別な意味が込められていると感じた。