ヒューベルト=フォン=ベストラは変わったのか - 4/5

「おいしいかったわ、ベルナデッタ。こういうことはめっきりダメだけど、ベレトさんに作ってあげたいの」
「ええっ、ベルがエーデルガルトさんに教えるんですか」
 ベルナデッタは声を跳ね上げてから、二、三歩後退った。
 エーデルガルトはベルナデッタを連れ出して、中庭を散歩していた。このまま二人きりの時間の中で、彼女からヒューベルトとのことを聞き出そうという算段だ。宮城の中庭の薔薇を彼女に見せたいという口実を作ってのことで、ヒューベルトはベレトに相手をしてもらっている。そちらは査察の報告、という口実を作っているので、職務のことともあれば、しばらくは邪魔が入らないだろう。
「そうよ、何か問題でも?」
エーデルガルトは、何が問題なのかと目を丸くして尋ねかえした。中庭は平時より心なしか兵の数が多いような気がする。明らかにヒューベルトの手によるものだろう。エーデルガルトは彼を出し抜くことまでは叶わなかったと、ため息をついた。
「問題ありですよ。ヒューべ、えっと、夫に聞かないと」
 ベルナデッタは目を泳がせながら、言葉を選んでいる。
「いいのよ、ベルナデッタ。貴女と私の関係じゃない。見ず知らずの他人じゃないのだから、彼のこともいつも通り呼んでもいいのよ」
「ひゃああ、すいません。あたし、こういうことはまだ勉強中なんです。とにかく、ヒューベルトさんに確認しないと」
 頭を抱えて頬を赤く染めたベルナデッタが、これでもかと身体を縮こませて、今にも消え入りそうなか細い声で呟いた。
「別にいいじゃない。それに、私に焼菓子の作り方ひとつ教えるのに、ヒューベルトの許可がいるだなんて、おかしいわよ」
「そうなんですけどお。でも」
 ベルナデッタは、ヒューベルトに見張られているとでも思っているのだろうか。まるで敵地に侵入した偵察兵のように、四方八方に向けてキョロキョロ視線を送り、全く落ち着きがない。
「絶対よ。これはそうね、私の命よ。そうすれば、ヒューベルトだって何も言わないわ」
 たいしたことでもないのに遠慮されるのは、ひどく面倒だ。エーデルガルトが強引に押し切ろうとすると、ベルナデッタは、ふふふっと口元に手を添えて愉しげに笑った。
「エーデルガルトさん、本当にヒューベルトさんのことよく知ってるんですね」
 何かまずいことでも口走ったのか。先ほどまでの言葉を辿るも、それらしいことはベルナデッタに告げたつもりはない。それに、エーデルガルトにはベルナデッタの表情も嫉妬で歪んでいるようには見えなかったが、妻を差し置いて彼のことを知っているといわれるのは、居心地が悪い。
「付き合いが長いから、彼がどうすれば黙ってしまうか、だいたいわかるのよ」
 自慢にもならない特技だというように、エーデルガルトは告げた。ヒューベルトも同じく、エーデルガルトの手の内など、手に取るように分かっているはずだ。この中庭に巡らされた見張りの数を思えば、否定できない事実であり、ヒューベルトとエーデルガルトは、互いの弱みを握りあっている油断ならない間柄だった。
「ベルには全然分からないです。あたし、どんくさいし。ヒューベルトさんが望むような立ち振る舞いも、全然できてないですから」
 一連の会話は、ベルナデッタを嫉妬の炎で焼くことはなかったが、彼女の自尊心を攻撃してしまったようだ。僅かに伏せられた瞼の奥の瞳を覗き込むことはできないが、物憂げに笑うベルナデッタの悩みは、ひとえにヒューベルトへの愛ゆえだろうと、エーデルガルトは思った。
「そうかしら。彼みたいな人が結婚したいと思ったのよ。もっと、自信を持ってもいいのではないかしら」
 ベルナデッタは左右の指をつつき合いながら、「そうなんですけど」と、何度も繰り返している。話が長くなりそうだ。少し離れた位置で待たせている侍従に、茶の準備を目配せして、エーデルガルトはベルナデッタを庭内の円卓へと案内した。

「エーデルガルトさんには、あたしたちがどう映っているか分かりませんが、ヒューベルトさんは昔からベルに優しいんです。厳しくすると言ってくるわりには、無理強いはしてこなかったですし。ほら、恋人でもない人の手作りの品だって受け取ってくれましたし」
 ベルナデッタは懐かしむように目を細めた。
「刺繍の飾りをつけて現れたときは、驚いたわ」
 エーデルガルトにとっても懐かしい話だ。
 何事もないかのように見慣れぬ花を咲かせてきたヒューベルトに、誰からの贈り物なのかを問いかけられなかったことを思い出す。目の前で眉を下げている彼女の作品だろうと分かっていて、それを尋ねてはいけないと思い、彼に直接経緯を尋ねることは叶わなかった。
「あなたが贈ったものだって、すぐに気がついたわ」
「あの時はですね、本当に何も考えてなくて、深い意図はなかったんです。誰に言っても信じてもらえないんですけど」
 ベルナデッタは当時のことを、今の起きている出来事のように感じられるのだろうか。破顔して身体を揺らすその仕草は、風に揺れる花のように愛らしく、エーデルガルトも釣られて頬を緩めた。
「あなたらしいわね。実のところ、ヒューベルトがああしているのは初めてのことだったし、私は何も尋ねられなかったわ。結局、フェルディナントが全てを聞き出してしまったわけだけど……」
 フェルディナントが、ヒューベルトとの今の関係を築けたのは、彼のそういう大胆な人柄によるものが大きいのだろう。エーデルガルトは、息を吐いて空を見上げた。草を踏む音に視線を向けると、ちょうど侍従が茶器と茶菓子を盆に乗せて近づいてくるのが見えた。思い出話にはまだ続きがあるようだ。エーデルガルトはベルナデッタに視線を戻した。
「ドロテアさんから、ヒューベルトさんのこと好きなのかと尋ねられて、気がついたんです。あたし、なんてことしちゃったんだろうって」
 ベルナデッタは頬を両手で包んで、両目を力一杯瞑った。
「ふふふ、ヒューベルトはどうだったのかしら。貴女が贈り物をしたとき、どんな反応を示したの? 彼はそういうこと鈍そうだけど」
 気難しそうなヒューベルトの顔を思い浮かべながら、エーデルガルトは当時の彼の思考を辿る。
「こういったものは意中の相手に。と、言われたんです」
 ヒューベルトの声真似をして、ぺろりと小さな舌を出し、ベルナデッタは苦笑した。その忠告は、エーデルガルトの想定外だった。
「彼は貴女の想いが、自分に向けられているのかもしれないという可能性を認識したのかもしれないわね」
 エーデルガルトが告げると、ベルナデッタが悲鳴をあげて頭を抱えて、耐えがたいというように首を左右に振った。気持ちはいつだって、あの当時のままなのだろう。ベルナデッタは、彼が夫となった今でも、彼に恋しているようだ。湯気が立ち上りそうなぐらい真っ赤に染めた頬に、エーデルガルトは目を細めた。
「本当に恥ずかしいです。あたし、なんて大胆なことしちゃったんでしょう。分かってたら、絶対あんなことしませんでした」
 確かに、愛の告白に近い行為だろう。しかし、それを指摘すると、ベルナデッタが輪をかけて賑やかになりそうで、エーデルガルトは、その心の内に留めておくことにした。
「いいじゃない、受け取ってもらえたんだから。きっとその時点でヒューベルトの中では答えがあったのかもしれないわ。彼は、中途半端なことはしないから」
 でもお、と続けそうになるベルナデッタを遮って、エーデルガルトは断言した。
 ヒューベルトなりの葛藤は、あったかもしれない。
 エーデルガルトは、記憶の中の彼が、刺繍の飾りを形取るように指で愛でながら、連絡橋のなかごろに佇み、遠くを見つめていた時のことを思い起こしていた。あの時、彼は何を思っていたのだろうか。とても声をかけられるような様子ではなく、用事があったにもかかわらず、エーデルガルトはその場を後にしたぐらいだった。
「そうだといいんですけれどね。ヒューベルトさんは、あまり思っていることを口にしないですから」
 落ち着きを取り戻したベルナデッタは、儚げに微笑んだ。これまでの姿と異なり、ぐっと大人の女性らしさを感じる。こうしてみると、尋ねている方がむず痒くなるほどの熱愛ぶりではないかと、エーデルガルトはこそばゆい気持ちになった。今だって欠かさずに身につけている刺繍は揃いのもので、二人の仲をこれでもかと視覚的に見せつけられているのとなんら変わらない。彼は確かに考えていることを口にしたりはしないが、誠意ある態度で、妻への愛を示し続けている。ついに辿り着いたと言わんばかりに、エーデルガルトは力強く頷いた。
「ヒューベルトは、変わったんじゃないんだわ!」
 エーデルガルトは、晴れやかな表情で宣言した。エーデルガルトのその胸の内など分かるはずのないベルナデッタは、一体どうしたのかというように両目を瞬いている。
「そこまでですよ、陛下。ベルナデッタを連れて会場を抜け出したかと思えば、二人で茶会とは……」
 背後から投げかけられた声とため息に振り返ると、一層険しい顔をしたヒューベルトと、その後ろに続いて、申し訳なさそうな表情を浮かべたべレトが近づいてきた。ヒューベルトの注意を引き続けることに失敗したらしい。ベレトはエーデルガルトに、苦笑いを向けている。
「ごっ、ごめんなさい! ヒューベルトさん、あの—— エーデルガルトさんが悪いんじゃないんです。ベルがたくさんお話しちゃってですね」
 ベルナデッタに、再び緊張が戻った。
 睨み合うエーデルガルトとヒューベルトを交互に見て、お手上げといわんばかりに両手を中途半端に上げたまま、ベルナデッタはおろおろとしはじめた。
「違うわ。私が彼女を誘ったのよ。貴方がいると、ベルナデッタがこの調子だから。お話もろくにできないと思って」
 うんざりした表情のヒューベルトから、長いため息が漏れる。それから、彼はエーデルガルトの前を素通りしてベルナデッタの元に向かうと、彼女の肩にそっと手を置き、見上げた彼女に微笑みかけた後、エーデルガルトに向き直った。
「ええ、もちろん、承知しておりますよ。陛下が興味本位に私と貴女のことを聞き出そうとでもしていたのでしょう。違いますか?」
 ベルナデッタは立ち上がり、ヒューベルトに向かいあうと「違うんです」と言って、首を振る。ヒューベルトはそれを見ようともせずに、挑みかかるようにエーデルガルトに攻撃的な鋭い視線を向けた。
「ええ、そうよ。あなたのことが知りたかったの。ベルナデッタと結婚してから、随分と変わったとばかり思っていたの。それがどうしてなのか、知りたかったのだけど……」
 エーデルガルトも黙ってはいない。ヒューベルトの挑戦を受けて立つように、にやりと笑った。そして、ベレトに視線を向けてから、ヒューベルト、ベルナデッタとそれぞれに視線を送る。並んで佇む二人は、これでもかと寄り添っていて、まるでエーデルガルトが、二人を断罪しているかのようにも見える。
「変わったんじゃないわ」
 エーデルガルトがそう告げたとき、ヒューベルトとベルナデッタは互いの顔を見合わせた。
「なるほど。では、陛下が辿りついた答えを、是非とも聞かせていただけますかな」
 ヒューベルトは挑戦的な態度で、エーデルガルトに答えを示すように求めた。
「いいわよ。あのね……」
 エーデルガルトが至った答えをもったいぶって告げたそのとき、意地悪く唇を歪めたヒューベルトが一気に顔色を変えていく様は、失礼ながら愉快そのものだった。夫婦揃って同じ顔色で言葉を失うその様子は、指を指して笑ってやりたいぐらいで、二人は結ばれるべくして結ばれたのだろうと、エーデルガルトの確信を更に強固にしただけだった。戦場で息の合った連携を見せる夫婦だと評されはじめていることは何度か耳にしているが、確かに彼等は一呼吸も乱れない。

「人をなんだと思っているのですか」
 ヒューベルトは、エーデルガルトに言い返す言葉がなく、不貞腐れているようだった。
「ふふふ、だって、貴方ってばなかなかそぶりをみせないのだもの。でも、持っているものが明らかに以前と違っていたりするのだから、興味をそそられたのよ」
 エーデルガルトは不適に笑って、長い横髪を払いのけた。口直しのテフを飲むヒューベルトは、先ほどの一言がトドメになったのか、敢えて気難しそうな顔を作っているようにも見えた。舌戦には自信のある彼のことだ。暴かれた真実に対する羞恥より、エーデルガルトに負けたことへの悔しさでいっぱいなのだろう。
「今も昔も、そうですね。何も変わってませんよ。ヒューベルトさんは、ヒューベルトさんなんです」
 彼の妻の方は、花冠の節の陽だまりのような微笑みを浮かべて、一人のほほんとしている。
「なんていうか、茶会が始まったときの貴方たちは、とてもそんな風に見えなかったわ」
「それについては、ご心配をおかけしました。ヒューベルトさんから言われたわけじゃなくて、ベルが勝手にちゃんとしなきゃって、はりきっちゃったんです」
 両手で茶器を包むように持ったままのベルナデッタが、すっかり日常を取りもどしたかのようにのびやかな声で白状すると、ヒューベルトが「慣れないことはしないことです」と、告げた。
「さしずめ君は、ベルナデッタが緊張したりするような場に、彼女を連れ出さないようにしているんだろう?」
「さて、答える必要はありませんな」
 ヒューベルトは鼻もちならない表情で、ベレトから視線を背けた。彼は問いかけに対して、はぐらかしたつもりかもしれないが、エーデルガルトには思い当たる節があった。
 思い返せば、夜会の類でヒューベルトがベルナデッタを伴っているのを見たことがない。その内情は、彼なりの妻への気遣いだったのだろう。悪評をひねり潰すことは彼にとっては容易く、ベルナデッタが不慣れなことで傷つくことはない。ヒューベルトは、妻であるベルナデッタを彼なりに守っていたのだ。
「でも、やっぱりそれじゃあいけないと思いまして、マナーの先生に来ていただいているんです。今日はうまくいきませんでしたが、あたし、ヒューベルトさんの妻として出来ることはなんでもしたいんです」
 ヒューベルトの心配や配慮をよそに、ベルナデッタは彼女なりにヒューベルトの妻として頑張る意気込みをもっているようだった。後ろ向きでいるようで、彼女は前向きでひたむきだった。彼女がその生まれを理由に後ろ向きな人物だったとしたら、ヒューベルトは彼女に興味を持たなかったかもしれないと、エーデルガルトは推測した。
 人付き合いが苦手な妻を守ろうとする夫。夫のためにそれを克服しようとする妻。まさに美談、美しい夫婦愛と評してもいいだろう。
「君は頑張り屋だね」
 べレトは、いつまでも先生を退任できないようだ。彼に褒められ、ベルナデッタは学生時代の幼さ残るあどけない表情で照れ笑いして、「褒められちゃいました」と。隣席のヒューベルトに必要のない報告した。
 ヒューベルトにとって、べレトは師でもあり、また、一人の男性でもあるのだろうか。ベルナデッタに対して、はっきりとした返事を返さないところは、面白くないという彼なりの嫉妬のようだ。
「私はあまり夜会の必要性を感じていないのだけれど、無くなることはないと思うの。いつかヒューベルトがあなたを連れ添って現れるのを楽しみに待っているわ」
「ひ、ひえええ。せ、責任重大です。ベル、頑張りますよお」
 ベルナデッタは握りこぶしを作って、鼻をならすと、更に気合を入れたようだった。
「陛下に言われては―― 頑張っていただなくてはなりませんよ」
 ヒューベルトとベルナデッタは顔を合わて、確かめあうように頷いた。「頑張ります」と、ベルナデッタが小さな声で決意表明をすると、ヒューベルトはすかさず「ほどほどに」と告げて、目を細める。彼等の仲睦まじさに、見ているエーデルガルトの方が、なぜか、気恥ずかしくなってきた。
 耳が痛くなるほど聞いたヒューベルトの特技であるお小言はどこへやら。妻のベルナデッタに甘すぎやしないだろうか。面白くない気持ちと、妻の前ではただの人になるヒューベルトに対するこそばゆい感情が、複雑に混ざり合って、エーデルガルトは難しい顔をした。
「あっ、ヒューベルトさん、ここから糸が出ちゃってます」
 不意にヒューベルトの黒衣のほつれを見つけたベルナデッタが、彼の衣服に手を差し伸べる。
「貴女の仕事を増やしてしまいました。申し訳ありません」
「いいんです」と首を振るベルナデッタの菫色の丸い頭を形取るように、ヒューベルトの手がゆっくりと撫で下ろしたのを、瞬きひとつせず確認したところで、エーデルガルトは現実に引き戻される。
 先ほどから、一体何を見せつけられているのか。この二人はごく自然と見せつけてくるので、タチが悪い。堪えきれずにべレトに視線を向けると、彼の唇は声なくほらね、と動いた。彼等は二人きりの世界にひたり、エーデルガルトもベレトの存在を認識していないようだった。
「おや、どうかされましたか、陛下。お顔が少々赤いようですが……」
「あれ、本当ですね…… お体の調子がよくないんですか?」
 二人きりの世界から帰ってきたヒューベルトとベルナデッタに、エーデルガルトは告げる。

「あなたたち、いちゃつきすぎよ」