今日こそあたしが

 いつも口づけはヒューベルトからだ。別にどちらが先でも構わないけれど、少し悔しい。やればできると思い、何度も背丈の高い彼を見上げるけれど、視線を合わされると今だって飛び上がるぐらいどきどきする。
 隣で読書に励むその姿を刺繍仕事に精を出すふりをして、狩人のようにチャンスを待ち続けている。気づかれないようにちらちらとヒューベルトを盗み見るけれど、他人からの視線に敏感な彼の隙を見つけることは至難の業だ。
 頬にちょっとぐらいならできそうだと身を乗り出すと、バランスを崩して彼の膝に上半身ごと飛び込んでしまった。
「う、うううう…… ご、ごめんなさい」
 久方ぶりの休息を台無しにしようとしている自分が嫌になってくる。打ち付けた鼻の頭を擦りながら、怖ず怖ずと身を起こすと、琥珀色の瞳が何をやってるんだかという視線を送りつけてきた。申し訳なさでいっぱいで返す言葉がない。
「突然どうされたのですか、ベルナデッタ殿」
 怪訝な顔に、ただただ謝るしかない。
「ち、ちょっとお、お砂糖を取ろうと思ったんです」
「その割には手が伸びておりませんでしたが……」
 ヒューベルトにはその場任せの嘘は通用しない。ぎくりと肩を跳ね上げて、誤魔化しの笑い声をあげて、後頭部を撫でる。
「先ほどからちらちらと私の方を見ているようですが、何か用事ですか。それとも寂しくなったのですかな」
 共に過ごせるだけでも贅沢なのに寂しいだなんてとんでもない。ヒューベルトとなら言葉を交わさずとも隣にいるだけでいい。ただ、身体が絶妙に触れあわない位置でベルナデッタに目もくれずに本を読んでいる彼の、その体温が恋しかった。
 すべてお見通しという意地の悪い笑みの前では、顔を真っ赤にして俯くことしかできない。
「ベルナデッタ殿、こちらに」
 その言葉と共に伸ばされる節ばった大きな手が頬を撫でる。誘われるように身の乗り出すと、触れるだけの口づけを交わす。
「あの、ベルからしても?」
 どうにかして勇気を振り絞ってたずねると、間近にあるヒューベルトの瞳が見開かれ、優しく細められる。
「どうぞ」
 震える手を差し出してヒューベルトの肉付きの悪い頬に掌をぴたりと添える。顎を僅かにあげて顔を寄せようとすると、蠱惑的な瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「ひゃああ、みっ、見ないでくださいいい」
 ベルナデッタはパニックになって声をあげた。
「そちらはできない相談ですな」
 揶揄われているのだろう。クツクツと笑われてしまった。
 見られたままではできない。おかしな顔をしているかもしれないし、それこそあまり熱心に見つめられると興奮状態から気絶してしまいそうだ。ヒューベルトの薄い唇は弧を描き、細められた瞳は甘美な色を秘めている。反則だ。自分より魅惑的で、蕩けてしまいそうだ。
 思い付いたかのように、掌を彼の目元にそっと添えた。見られていなければ、できそうだ。指と指の間はしっかり閉じたからきっと見えないだろう。
「あの、今はこれが精一杯ーー ん……」
 手をはねのけられる前に、ヒューベルトがいつもしてくれるようにそっと唇を押し当てた。唇からほんのりとした温もりを感じた。うまくできたかどうかは分からないけれど、いざ身体を離そうとしたら背中に腕を回されがっちりと捕まえられている。気が付いたときにはもう遅い。罠にすっかりかかっていたのだ。
「煽るあなたが悪いのですよ」
「ちょ、ちょっとひゅ、ヒューベルトさん!」
 声をあげて身を捩っても、びくともしない。手首を取られ、眼前に曝された彼のその瞳が狙うように細められて、こちらに向けられている。ばくばくと心臓が大きな音をたてている。耳の先まで熱い。
「あの、あの、ん、んっ……」
 唇を食まれ、開いた隙間からぬるりと何かが侵入した。それがヒューベルトの舌だということに気がつく頃にはすっかり熱を帯びて、彼に全てを委ねているのだった。