恋のレッスンその1

 ベンチに並んで座る男女。
 一人はベルナデッタ。もう一人はフェルディナント。ベルナデッタはがくりと力なく項垂れ、フェルディナントはベルナデッタの様子を窺うように前屈みになって、大きく広げた両足の腿に両肘をついている。
「まさか、君がヒューベルトに想いを寄せているとは思わなかったな」
 フェルディナントは口端をあげて笑むと、僅かに溜め息をついた。
「そ、それは、まだ分からないんですよう。滅多なことは言わないでください。人の日記を読むなんて、もう」
 ベルナデッタは隣のフェルディナントに半眼くれて、不貞腐れるように頬を膨らませた。
 ベルナデッタの日記を、フェルディナントが誤って読んでしまったのだ。ベルナデッタが紛らわしい場所に置いたことが全ての原因だが、運が悪いことに最初に開いたページにヒューベルトのイラストと、彼に関することが切々と丸い小さな文字で書かれており、不本意ながらも彼女の気持ちを知ることになってしまった。
「それについては、本当に申し訳ない。まさか、君の日記だとは思わなかった!だからこそお詫びといっては何だが、君の恋愛を応援しようというのではないか!」
 ベルナデッタは顔を上げた。気分が乗らない申し出に呆気に取られている。それが分からないのか、隣のフェルディナントは清々しいほどの笑顔だ。どこにその自信があるのか問うてみたいぐらいだ。
 フェルディナントが適任者であるとは、ベルナデッタは到底思えない。どうにかして思い直してもらいたいが、一本気の彼を翻意させることは難しいこともわかっている。
 ちょうどそこに運悪くヒューベルトが現れた。最近は執務室に籠って仕事をしていることが多く、もともと良いとは言えない顔色がさらに青白く見えた。
 時間が惜しいのか颯爽と闇色のマントを靡かせ、ベルナデッタとフェルディナントが腰かけたベンチに一視くれると、興味がないのか何も言わずに立ち去っていく。
 ベルナデッタの予感がざわついた。
「待ってくれ、ヒューベルト!!」
 そんなに大きな声で呼び止めずとも聞こえるだろうと誰もが突っ込みたくなるような声だ。フェルディナントはおもろにベンチから立ち上がった。引き止める間も無く、小走りでヒューベルトを追いかける。
 手を伸ばすも背は既に遠く、儚くも空を切った。
「はい?」
 呼び止められたヒューベルトは明らかにうっとうしいものをみるような目で、フェルディナントを見ている。引き結ばれた薄い唇に笑顔の気配は欠片もなく、一文字にひき結ばれて不愉快に歪められている。
「ちょうど良かった!貴殿も疲れているだろう。どうだ、私とベルナデッタとお茶でもしないか」
 明らかにおかしな組み合わせだ。奇妙な提案に思わずヒューベルトから短く疑問の声が漏れ、調子を崩されたように見えた。
 やめてやめてと、ベルナデッタは心の中で叫び続けた。膝が笑って、二人を見ていられない。
「なぜ? 貴殿とベルナデッタ殿で楽しめばよいのではないですかな」
「そういわずに、なあ!ベルナデッタ!」
「え、えっと…」
 話を突然放り投げられて、口籠った。ヒューベルトの怪訝な視線が突き刺さって痛い。どこをみていいのやら、目を泳がせた。
 フェルディナントとヒューベルトでは身長はヒューベルトのほうがあるのだが、体格はフェルディナントのほうが明らかに立派だ。迷惑そうな顔のヒューベルトの腕を掴んで、フェルディナントはベルナデッタに同意を求めている。
 誰がみても明らかに彼だけが楽しそうにみえた。
 かくして、三人は丸いガーデンテーブルを囲んでお茶をすることになった。
 断りきれなかったヒューベルトは腕を組んで視線をやや逸らし、明らかに不機嫌そうである。断ってくれたほうがマシな態度だ。
 対するベルナデッタのほうはというと、そんなヒューベルトに気圧されて、小さく縮こまって座っていた。
 そして、この状況を作り出した張本人であるフェルディナントは、「ここは若い二人に任せて」と適当なことを言って、茶の準備で席をはずしている。
 ベルナデッタはチラチラと、ヒューベルトを盗み見た、目の前にいるのだからもっとはやくに堂々とみたらいいはずが、どんよりとした重力のある場の空気にすっかり圧迫されている状況であった。
 ヒューベルトは苛ついているのか、組んだ腕の上で指をとんとんと動かしており、ベルナデッタには目もくれない。
(はあ、最悪ですよ)
 好きな人には目の前であからさまにいらつかれ、臆病な自分は声をかけて場を和ますこともできない。ベルナデッタは、早くフェルディナントが戻ってこないかとそわそわとして、彼の姿を探し始めた。
「何か用ですかな、ベルナデッタ殿。先程から視線を感じるのですが…」
「ひゃ、ひゃい、えっと…ごめん、なさい」
 強い口調で尋ねられ、謝る場面でもないのに、つい謝ってしまう。
「急に謝られても、よくわかりませんが」
「その、忙しいのに呼び止めてしまって」
「呼び止めたのはフェルディナント殿です」
「はい、そうでしたね」
 理詰めに負けるのははじめから分かっている。会話が成立しない相手とどう和めばいいのだろうか。そして、そんな相手と……。袋小路に壁際まで追い詰められて、のめりこんでしまいそうだ。
 ベルナデッタは居た堪れなくなって、指と指をすりすりとさせ、唇を僅かに尖らせた。
 フェルディナントが戻ってきたときには、気まずさ一杯の二人がただ石像のように座っているだけであった。
 惨状を目にしたフェルディナントは、一旦体勢を建て直そうとしたのか、持ってくるのを忘れたと嘯いて、ヒューベルトに無理矢理ティースプーンを取りに行かせたのだった。
「ベルナデッタ、どうして普通に話せないんだ」
 ヒューベルトの姿が見えなくなってから、フェルディナントが切り出した。
「だ、だって、ヒューベルトさん、明らかに機嫌悪いですよお」
 話し始めただけで、眦に涙がぷっくりと滲んだ。いじいじと膝と膝を擦り合わせ、聞きたくない説教にじっと耐える。
「確かに、あいつもよくない。がしかし、それを彼に注意をすることはできない。そこでだ、ベルナデッタ、君が自然体で接して、彼の緊張をとかねばならん」
「緊張、ヒューベルトさんが?」
 そんなわけがない。
 はじめからだってお茶なんか飲みたくもなさそうで、ベルナデッタと話もしたくなさそうだった。あの様子を浮かべるだけで、また泣きそうになる。
 救いを求めるようにフェルディナントを見つめると、彼はゆっくりと頷いた。
「そうさ。ああ見えて、彼は不器用だからな」
「そ、そんな風にはぁ……」
 ベルナデッタが問い返したときには、なぜ自分がティースプーンを取りに行かねばならないのかと呟きながらヒューベルトが近づいてきているところだった。
「さあ、頑張れ!私がついている」
 フェルディナントは勇気づけるためにウインクひとつベルナデッタに投げた。
 ベルナデッタは慌てて涙を拭った。
「彼だって緊張するさ。君が怖がるからどうしていいのかわからないんだ」

 三人でのティータイムが再開された。
 まずはフェルディナントが差し障りのない軍の近況を話し、ヒューベルトが話しやすい話題からスタートした。さすが社交に長けているフェルディナントだけあって、違和感なく、優雅な立ち振舞いだ。
 ベルナデッタはただ相づちをうって、時折、茶菓子を小動物のように食みながら、目の前のヒューベルトをゆっくり堪能した。身振り手振りを織り交ぜながら、フェルディナントと議論をする彼は、年齢がそんなに離れていないはずなのに、成熟した大人の男性に映った。
 怖いはずの鋭い目は暗い冷たさの中に色気があり、薄い唇からは時折嫌味が吐かれるが、そこはかもなく気品を感じる。
 しばらくするとまたもやフェルディナントが席を外した。すぐ戻るといって立ち去るときに、今度こそうまくやるようにと言うように、ベルナデッタの背中を軽く小突いていった。
 ここまでのチャンスをもらっておいて、何もしないのはよくないと、さすがのベルナデッタも奮起した。
 フェルディナントの厚意に答えたい。
 意を決してちらりと見たヒューベルトは、不思議と恐怖を感じなかった。
「ヒューベルトさんは、テフがお好きなんですよね」
「如何にも。よくご存じですな」
 好きなひとのことだ。食事に興味がない彼の好物ですら頭に叩き込んでいる。
 ヒューベルトはティーカップ片手に満足げに同意をした。話題の切り出しはうまくいったようだ。ベルナデッタは、ひとまず胸を撫で下ろした。
「興味があるのですかな。なかなか人に薦めても好む方はいませんが」
「ベルはまだ飲んだことないんです」
「では、今度機会がございましたら、淹れて差し上げましょう」
「は、はい!」
 ベルナデッタは嬉しくなって、舞い上がった。自然と溢れた笑顔には曇りひとつなかった。

「ベルナデッタ、今日は本当に良くやったぞ」
「本当ですか? フェルディナントさんのお陰です」
 反省会と称して、ベルナデッタの自室で今日の一連のことを振り返っていた。
 あの後も、ヒューベルトの機嫌を損ねることなく、穏やかなティータイムを過ごすことができた。
 ベルナデッタにとっては奇跡のような出来事で、それは、ひとえにフェルディナントのお陰であった。
「そういえば、君は刺繍が得意だって聞いたが.」
 部屋の片隅に糸や、織物や、布が積み上げられているのを目にして思い浮かんだのだろうか。フェルディナントの問いかけに、ベルナデッタは照れ笑った。
「はい、ベルの趣味です」
「なるほど。そうだ、君の手作りをヒューベルトに贈ってはどうだろうか。いいぞ、これはかなりの妙案だ!」
「ひぇっ、そ、そんなの無理ですよ」
 ベルナデッタは立ち上がって、胸の前で祈るように両手を組み合わせ、必死に首をふった。
 今度は何を言い出すのやら。それならまだ二人きりでお茶会の方がマシだ。
 フェルディナントの気持ちはありがたいが、手作りなどという誰が聞いても重たいプレゼントをどうして受け取ってくれるだろう。叩きのめされるに決まっている。
「何を言ってるんだ、ベルナデッタ。君はヒューベルトに愛を伝えたいのだろう? ならば、行動しなくては伝わらない。それに、ヒューベルトはあんな奴だ。ちょっとやそっとでは、うまくいかないぞ」
 恥ずかしくなるようなことをさらりと言ってのけても、全くおかしく映らないのがフェルディナントである。
 熱意のこもった声にかなり強引に背中を蹴られているような気持ちになった。この話になったら大火傷は確定だ。どんなに勧められても、はい、とは言えない。
「で、で、でも… 」
「でも、は不要だ。今後、私の前では禁句にしたいぐらいさ。やってみるんだ、頑張れ、ベルナデッタ」
 彼の瞳の力に負けたといえば、言い訳だろうか。小さな声でやってみますと返すのが、精一杯だった。