片恋バレンタイン

「えっ、これを……ヒューベルトに?」
 
 エーデルガルトは押し付けられるように手渡された紙袋を両手で掴んだまま、ベルナデッタに問いかけた。校舎入口付近の花壇の前で、ちょうど、ヒューベルトの迎えを待っている時だった。

「お、お願いします」

 漫画であれば、もじゃもじゃの菫色の頭上に汗のマークが大量に浮かんでいることだろう。ベルナデッタはか細い声でそう言うと、エーデルガルトの反応に怯えているのか、縮こまってしまった。

「お願いしますって、これは貴女からヒューベルトにあげるものなのよね」
「はいい」
「なら、これは私では渡せないわ。自分でちゃんと渡してちょうだい」
「でもお」

 言い淀むベルナデッタに、エーデルガルトは紙袋を突き出した。眉間には数本の深い皺。ベルナデッタから小さな悲鳴が上がった。

「ひゅ、ヒューベルトさんだってぇ、エーデルガルトさんからもらった方がきっと嬉しいんですよ」
「意味がわからない」
「わかってくださいぃ」
「分からないわ。貴女が渡したくて準備したものを、なぜ、偽ってまで渡さなければいけないの?」
「ですからぁ、あたしなんかの手作りなんて、もらっても嬉しくないでしょおから……」
「それは貴女の思い込みでしょ!」

 エーデルガルトが強く言い返すと、ベルナデッタは涙目になって肩を跳ね上げた。

「ヒューベルトに貴女が作ったって言わなくて、それでもいいわけ?」
「お、おいしかったかどうかだけ後で教えてもらえれば……」
「ダメ。ぜったいに自分の手で渡してちょうだい」

 エーデルガルトは首を振った。
 ちょうどその時、校舎に近づくエンジン音が聞こえてきた。黒塗りのリムジンは、エーデルガルトの迎えであり、運転者はヒューベルトである。
 ほら、と告げて、エーデルガルトは紙袋をベルナデッタに渡すと、手洗いに行くと降りてきたヒューベルトに告げ、その場を後にした。

*****

「あの、あのぉ」

 ベルナデッタは震える手で紙袋を握ったまま、ヒューベルトに声をかけた。既に泣き出しそうで、ヒューベルトもその様子に気づいたようだった。

「どうされましたか? どこか痛みますか?」

 身体を屈めて尋ねるヒューベルトに、ベルナデッタは何度も首を振った。
 真っ直ぐにむけられる黄金色の瞳が、涙で霞んで見える。泣き出さないように下唇を噛んだ。

「いらなかったら捨ててください!」

 勢いで出た言葉は大きなものだった。同時に突き出した紙袋をヒューベルトが受け取ったかどうかを確認する前に、ベルナデッタは逃げ出した。
 もう合わせる顔がない、とベルナデッタは絶望した。そもそもヒューベルトに手作りチョコレートを渡すことを企画したのはベルナデッタ本人であるが、土壇場になって悪い妄想が膨らんでしまい、急に計画を変更したくなったのだった。
 きっと迷惑だろう。絶対に迷惑に違いない。気持ち悪いと思われただろう。
 ヒューベルトが優しいのは、エーデルガルトの学友であるからで、好意を向けられているわけではない。
 チョコの処分に困っているヒューベルトの顔が浮かび、涙がどんどん溢れてくる。
 走るのを止めて、数歩あるいてから立ち止まり、手の甲で涙を拭って鼻をすする。
 捨ててもいいとは言ったものの捨ててはもらいたくない。チョコの行末が気になる。ばくばくと心臓が激しく動いているのは、走ったせいだけではない。胸に手をあてて、呼吸を整える。
 見上げた空は真っ赤な夕焼けだった。ベルナデッタはとぼとぼと肩を落として帰路についた。

******

「さて。これは……」

 いる、いらない。
 そんなことも言えないまま、受け取った紙袋の中を、ヒューベルトは確認した。
 シックなモノクロの包装紙とリボンに包まれた小さな箱の上に、カードがちょこんと乗っかっていた。

“いらないかもしれませんが、ヒューベルトさんにチョコレートを作りました。食べてくれるととても嬉しいです”

 小さな丸い文字で丁寧に書かれたメッセージを読むと、ヒューベルトの表情は和らいだ。
 ベルナデッタらしい文字だと思いながら、ヒューベルトは彼女が去っていった方面をみた。これから予定があるから、追いかけることはできない。どうしたものかと思っていたら、エーデルガルトが校舎から出てきた。

「それ、貴方にだって」
「そのようで」

 エーデルガルトはすまし顔で後ろ髪をかきあげると、主人を待つように開け放たれたドアをくぐり後部座席へと座った。

「ベルナデッタは?」
「泣きながら、先ほど帰路に……」

 事実を告げただけの返答にエーデルガルトが鬼の形相をしたので、ヒューベルトは咳払いをして目を逸らした。

「いえ、弁解するようですが、何かお伝えするよりも早く走っていってしまわれたものですから、その…… こちらはありがたくいただきますので、その……」

 エーデルガルトはしばらく唸ったのち、大袈裟にため息をついて、肩を竦めた。

「それで? 嬉しかったの? それとも迷惑だったのかしら」
「迷惑では……」
「それだけ?」
「いえ、わざわざ手作りのものをお渡しいただけるとは……」

 ヒューベルトは詰められるのがたまらなくなって、後部座席のドアを閉めると、運転席に回った。バックミラーを調節していると、後部座席のエーデルガルトが不機嫌な様子で運転席側を睨んでいることに気づいた。

「大学でも、もらったの? 貴方って思いの外、モテるわよね。愛想は良くないのに」
「はあ、まあ……いただきましたが。イベントに乗っかった形だと思います」

 確かに数名の女性からチョコレートをもらったが、学友のフェルディナントに比べれば天と地の差だ。

「ふぅん。じゃ、そんなに特別ではないのね、そのチョコレート」

 嫌味な言い方だなとヒューベルトは思った。エーデルガルトが親友であるベルナデッタに肩入れするのは理解はできるし、彼女のはっきりとした性格では一連の釣れない対応に不満を抱いても仕方がないのかもしれない。

「そうは申しておりませんよ」
「ほんっと、素直じゃないのね」
「そちらについては、エーデルガルト様はよくご承知では?」
「そうね」

 ヒューベルトは助手席に置いたベルナデッタからの贈り物に目を向けた。他のチョコレートはトランクに放り込んだままで興味はない。このチョコレートだけは、特別なのだ。だからこうして手元にある。

「ホワイトデーはもちろん、わかっているわよね?」

 返礼するのは当然のこと。ヒューベルトは黙して頷いた。分かってはいるものの、何を返せばいいのか。今の時点では少しも浮かんでこなかった。

「困りましたな」
「聞こえてるわよ!」

 独り言を拾われて、ヒューベルトは息を吐いた。
 嬉しくないわけではないが、どう表現していいのか分からない。即座に適切な対応が取れなかったことを悔やみながら、ヒューベルトはアクセルを踏み込んだ。