大人になりたい
ベルナデッタのすぐ脇を駆け抜けた女性は、ヒューベルトの名を呼んだ。立ち止まって振り返ると、長身の黒衣を呼び止めることに成功した件の女性がヒューベルトに歩み寄っていくところだった。
ヒュー様とか呼んでいた女生徒がいたことを思い起こしながら、ベルナデッタは遠巻きにその様子を見ていた。
恋なんてしている暇なんてないでしょうに。二人が近くで会話をしている様に、ベルナデッタは心の内で非難の言葉を呟いた。ヒューベルトは機嫌が良いのかこの後の予定がないのか、その場で楽しげに話をしている。何を話しているのかは聞こえてこないが、会話は盛り上がっているようだった。
恐怖の対象であったヒューベルトとは、日常的な会話であれば交わせるようになった。彼の胸ほどまでしかない身長では、今の二人のような光景にはならないだろうとベルナデッタは思った。まだうまく話もできないし、高身長のヒューベルトに空を見上げるように話すので、物理的にも心理的にも遠く感じられる存在だった。
会話に混ざりたいとは思わないが、どこか不愉快で、見ていたくない。
(何考えるの、あたし)
ベルナデッタは思わず掌を寄せて口元を隠した。自然と浮かんだ感情は、小さな悲鳴がおこりそうなほどの衝撃があった。
同じ年の女の子たちよりも、ベルナデッタは一回り小さかった。初潮もまだ来ていない。女性としての肉体的の成長の兆しは、父親が縁談を勧めてくるようになってから、まるで反抗するようにはたと止まった。身長は伸びず、痩せっぽちで、少しばかり胸は膨らんだものの、物足りなさがある。
ベルナデッタは成長が明らかに止まっていることを認識していたが、少しも気に病んでいなかった。爵位にも興味もないし、よく知らない男性と共に暮らすなどという苦痛を味わうこともないのだから。ベルナデッタにとっては、ありがたいことだった。
ヒューベルトが誰と親しくしていたって関係ないじゃないか。
ベルナデッタは自分に苛立って、大股で歩き始めた。
奇妙な感覚を引きずったまま自室に戻ると、ベルナデッタは机に置かれた本の表紙をみた。
本の物語の主人公は、苦難を乗り越えて好きな人と結ばられる。そんな冒険活劇だ。
あたしも恋をしてみたい?
複雑な感情をため息に乗せて、体の外に追い出す。
それにしても恋人同士みたいだったなと、先程のヒューベルトと女性を思い浮かべて、瞼を伏せる。それが自分だったらきっと、妹と兄だろうか。それがなぜか、悲しかった。
あたし、大人になりたい。
ベルナデッタはぎゅっと手を握りしめた。湧き上がってきた感情に涙が滲んだ。
ちくりちくりと胸が痛む。針でわずかに刺してしまったときのような、甘い疼きを感じる。
「ヒューベルトさん」
机に突っ伏して、名を呼んでみる。大人になりたい。大人になって、それから…… いまはまだその先の答えをベルナデッタは見つけられずにいた。