短いお話① - 5/7

あたしの気持ち分かりましたか?

ヒューベルトは息を吐く。未だに手が震えている。軍靴の中の足の指の感覚がない。
 寝台の上で伏せている妻の顔は青く、呼吸は浅い。苦しげに寄せられた眉根が痛々しく、シーツを握りしめる手に、ヒューベルトは自らの手をそっと重ねた。
「ベルナデッタ」
 愛妻の名を呼ぶ声は、宮内卿ヒューベルトのものとは思えないほどに弱々しいものだった。
 策に溺れたつもりはないが、妻のベルナデッタの有り様をみれば、否定してはならない事実だった。ヒューベルトはベルナデッタの手を優しく指で撫でた。
 カサカサになった唇から今にも途切れてしまいそう呼吸音が聞こえる。汗が滲んで張り付いた前髪を掻き分けてやると、ヒューベルトは瞼を伏せた。下瞼は青黒く、寝不足を示している。ここのところ日中は執務、夜はベルナデッタに付き添い、休む暇がない。
「ヒューベルト、さん」
 ようやく眠りに落ちそうになったころ、呼びかけにヒューベルトは目を開けた。ベルナデッタが目を覚ましたようで、開ききらない瞼を支えるようにしてヒューベルトを見つめていた。
「ベルナデッタ!」
 夜中だということも忘れて、大きな声を出してしまった。ヒューベルトは座り直すと、咳払いをしてからベルナデッタに微笑みかけた。
 治療にあたった者たちから、重症ではあったが命に別状はなく、意識を取り戻すまでは数日かかると告げられていた。ところが、予定よりも長く、ベルナデッタがあたかも死人のように眠り伏せるので、ヒューベルトの頭から死を振り払えずにいた。
「ごめんなさい。ほんとにご迷惑をおかけしました」
「痛みますか? 何か飲みますか?」
 ベルナデッタはゆっくりと頭を左右に動かした。
「ベル、どのぐらい寝てましたか?」
「一週間ほど……」
 ヒューベルトが答えると、ベルナデッタよ白い手が差し伸べられた。
「そんな顔しないでくださいよ、やだ、ヒューベルトさんってば酷いかお……」
 ヒューベルトは自分の顔の惨状が見えるはずはなかったが、ベルナデッタが言うのだから目も当てられないのだろう。ここのところ髭も剃っていない。
「貴女をこのような目にあわせたのは……」
「いいんですよ、もう」
 言おうとした自責の念は、ベルナデッタの声に遮られた。
「ちゃんと役目は果たしました」
「そちらこそ、そんなことはいいのです、もう……」
 死はいつも身近にあって縁遠いものだったのに、ヒューベルトは誰かを喪うことの恐ろしさを強く感じていた。
 お互いに苦笑いを向け合って、ヒューベルトはベルナデッタの手を取ると、指に嵌められたままの指輪を愛おしげに撫でた。
 主君の次に、大切なひとのはずだった。それがどうだろう。ヒューベルトはそれを戯言のように感じた。
 ずっと伴侶としてそばにいて欲しい。
 結婚を申し込んだ時にすら、こんな強い感情は胸のうちにあったとは思えない。ベルナデッタと時を過ごすにつれ、ヒューベルトに根付いて行った愛情だった。
「ベルの気持ち、ちょっとは分かりましたか?」
 ヒューベルトは意味を理解できずに、片眉を上げた。
「あたし、いつもこんな気持ちでヒューベルトさんのおそばにいるんですよ」
 昔話を語るように告げると、ベルナデッタは瞼を伏せる。
「少し寝ますね」
「ええ」
 告げられた言葉に返す暇を与えるつもりがないのか、ベルナデッタはまた眠りに落ちていったようだった。
 ヒューベルトは立ち上がると、窓の暗闇を見つめた。

「ええ、よく、分かりましたとも」