一生に一度の贈り物
ヒューベルトは、本来の趣旨を忘れ、宴会と化した会をこっそりと抜け出した。
次々と祝いの言葉を手向けられ、曖昧な返事とぎこちない謝辞を述べ続けていたら、すっかり疲れてしまった。続く宴会は、何か尋ねられれば手短に応答していたが、例えるならば、ただ座っていただけだった。酒が入っているせいか次第に会場は熱気を帯び初め、平常運転を続ける主役を置いて場が盛り上がりはじめた。いい加減そろそろ主役がいなくなっても失礼がないだろうと、ヒューベルトは席を辞したのだった。
日中は暖かくなってきたものの、夜はまだ羽織ものがないと肌寒く、息を吐けば白く煙った。酒のせいか、ほんのりと顔だけが熱く、ひんやりとした外気が丁度よい熱冷ましとなった。
皆の気持ちは有り難かったが、ああいう場は苦手だ。しかし不思議と悪い気はせず、未だ祝いの場にいるようなくすぐったい感情がヒューベルトの中に微かに残っていた。
「ヒューベルトさん」
自分もすっかり丸くなったなどと自嘲しながら酒気を覚ましていると、不意に呼び止められ、ヒューベルトは足を止めた。最近、想いを交わし合った菫色の頭の娘が、慌てて駆け寄ってきた。
「もうっ、本日の主役がいなくなってどうするんですか」
「みなさん、私のことなどすっかり忘れて楽しんでいらっしゃいますよ」
酒盛りで盛り上がる面々を思い浮かべながら返すと、ベルナデッタは申し訳なさそうに眉尻を下げた。会の主催でもないこの娘が責任を感じることなどないと言うのに、鍛錬をさぼったりする割には変に真面目なところがあって、それが顔を出したのだろう。必要以上に気を悪くしないよう、ヒューベルトはゆっくりと首を振った。
「責めているのでもなければ、怒っているわけでもございません。あのように多くの人が集まるとはよもや思いませんでした」
「えへへ、よかったですね」
ベルナデッタにさっと笑顔が戻り、ヒューベルトは密かに胸を撫で下ろした。
「まあ、そうですな。それで、貴殿はどうされたのですか?」
ヒューベルトの問いかけに、ベルナデッタは本来の用事を思い出したようで、びくりと跳ね上がった。
「あの、あたしからも、誕生日の贈り物があるんです」
「ほう」
出席者からの贈り物を受け取り、宴席の場で個人的に渡してくる人物もいたが、思い起こしてみれば、ベルナデッタから受け取った記憶はなかった。ヒューベルトにとっては思い出そうとしなければ気にも留まらない些事ではあったが、恋仲の女性からの贈り物が嬉しくないかと問われれば、素直に認めることはないかもしれないが、嬉しいという感情がないわけではない。
えっととあのを繰り返しながら、後ろ手を組ん身体をもじもじと捩らせ、ベルナデッタはヒューベルトを上目遣いで好奇が孕んだ視線を向けてくる。
ベルナデッタの贈り物は、さしずめ、刺繍の飾りの新作か何かだろうとは思っているが、ここまで言い淀むのには何か言い出しにくいことがあるのだろうか。ヒューベルトは勘繰りながら、ベルナデッタからの次の言葉を待った。
「それでその、お願いがあるんです」
「どうぞ、なんなりと」
ヒューベルトは恋人の申し出に恭しく、礼で応じた。
「め、め……めを」
「めめを?」
よく聞き取れずにヒューベルトが尋ね返すと、ベルナデッタは「もう、違います」と言って、不貞腐れて目を逸らしてしまった。何を言っているのか分からないから尋ね返しただけであったのに、女性はよく分からないなどとヒューベルトは心の内で毒づいた。
「め、めを……すこしだけ、その、つむっててくれると、うれしいなあって」
「はあ。構いませんが、言っておきますが、その間に私にトドメを刺そうなどとはしないことですな」
「そっ、そんなことしません!さあ、目を瞑ってくださいよう、早く!」
袖をぐいぐいを引っ張ってねだるベルナデッタの熱意に負けて、ヒューベルトは瞼を伏せた。先程までの控えめな様子はどこへやら、ベルナデッタの意思はすっかり固まったようだった。
「そ、そのままですからね。絶対絶対、目を開けちゃだめですから」
「はいはい」
よいしょ、と続く声。それからしばらくして、ヒューベルトの唇に柔らかいものが少しだけ触れて、それからすぐに離れた。
口づけをされたのか。
冷静に思い至りながら瞼ををあけると、真っ赤な顔をした涙目のベルナデッタが視界に入った。
「あのう、その。これにはふ、深い理由がありまして」
言い訳などしなくても良いのに。そのいじらしい様子に、ヒューベルトは淺く笑んだ。
「なるほど、深い理由ですか… 聞かせていただきましょうか、ククク」
「あ、笑わないでくださいよ! 言っておきますけれど、ベル、死ぬ気で頑張ったんですから」
「これは失敬、いえ、しかし口付け程度で死ぬ気が必要とは… クク、ククク」
もがく水鳥のように両手をじたばたとさせている様に、ヒューベルトは笑いを堪えられなかった。
「あたしのはじめてのキスなんですから。一生に一度、とても貴重なんですからね」
興奮気味にまくしたてられ、なるほどと思いながら、ヒューベルトは自らの顎をさすった。
「それは大変に貴重な贈り物を頂戴いたしました」
「そ、そうでしょう!」
調子を取り戻したベルナデッタが、我が物顔で胸を張った。
「では…… 私もそれなりのお返しをせねばなりませんなあ」
ヒューベルトは前屈みになって、ベルナデッタを観察するように上から下までなめまわすように視線をめぐらせると、口の端を上げた。異変を感じ取ったのかベルナデッタは身を縮こまらせ、ヒューベルトと目を合わさないようにしたいのか目を泳がせている。
「なんだか、ベル、とっても嫌な予感が……」
「とんでもございません。悪いことなど起こりませんよ」
後ずさるベルナデッタの手首を、ヒューベルトはすかさず掴んだ。
「どこへ行かれるのですか」
「ちょっと、しょ、所用がぁ」
ジタバタとする身体を閉じ込めるように抱きしめると、ヒューベルトはこれ以上ベルナデッタに騒がれる前に唇を塞いだ。