お化けぱにっく1

「おっ、お化けですかぁ? そ、そんなのいるわけないじゃないですかぁ・・・ ねぇ、ヒューベルトさん」
「まぁ、さしずめ何者かの都合により流された噂か、もしくは・・・」
「もしくは?」
「本当にでる、とか?」
「そんな顔で言わないでくださいよぅ」
 悪巧みをしているような顔でうすら笑うヒューベルトは、だいぶ慣れてきたとはいえ、ベルナデッタには恐ろしい男としか映らない。頼み込むように彼の闇色のマントを片手でぎゅっと引っ張ると、彼は抑揚のない声で「失敬」と返した。
 先生とエーデルガルトに命じられ何故かヒューベルトと二人行うことになった偵察の仕事の帰りに立ち寄った街は、主要な街道沿いの村にしてはすっかりと静まり返っていた。事情を宿の主人に聞いてみると、村の近くの廃屋敷に出る、という噂が広まり、中には帰らぬ人も出ているという話もあって、旅人の足が途絶えてしまっているということだった。
「では、そのようなものがいないとするなら、貴殿はどう考えるのですか? ここまで噂が広がり、村中の方が外出も控える程に影響が出ております」
「たとえば、悪い人たちの悪巧みに利用されているとか」
 ベルナデッタがしばらく考えてそう呟くと、ヒューベルトから短い声が漏れた。
「いずれにせよ私たちは困っておりまして」
「宿泊された方の中にも戻ってくると言い残したままでお帰りにならない人もいて。荷物も置いて行かれたままですから、何かがおかしい、と」
「それから何日経っているのですか?」
「かれこれ3日ほどまえのことでした。肝試しだといって、それっきり」
 ベルナデッタの体は急速に冷えていった。テーブルに乗せられた食事が喉を通らなくなりそうだ。
 食事を運んできた木製の丸い盆をしっかりと胸に抱きしめた宿の主人の妻の表情に嘘はないようだ。
「ベルナデッタ殿の推測は悪くないと思います。であれば、私達にも関係ないとはいえますまい」
「では・・・?」
 ヒューベルトの一言で、宿の主人とその妻の表情に明るい兆しが見らせた。
「引き受けましょう。まぁ、私とベルナデッタ殿にかかれば、大したことではないでしょう」
 ヒューベルトから送られた視線に、ベルナデッタは「そ、そうですね」と不満げに返事して、コップに満たされた水を口に含ませた。これってエーデルガルトさんや先生からの指示にありましたっけ、とベルナデッタは言い出したかったが宿の主人の妻の安堵の表情を見れば、流石にその話は二人きりになってからにしようと思うのだった。

「何か言いたいことがあるようで」
 軽い食事を済ませた後、ベルナデッタはすぐさまヒューベルトにあてがわれた部屋を訪れた。木製の扉を開け、部屋の中央でくつろぎもしないで佇む彼はベルナデッタの来訪を予測していたようだった。
「男性の部屋を夜分に訪れるのは感心致しませんが・・・ まぁ、その様子では夜のお誘いではないのでしょう?」
「ち、違います!」
 ヒューベルトの問いかけに、ベルナデッタの顔は一気に熱くなった。頬をぷっくりと膨らませた表情が面白いのか、楽しげなヒューベルトを尻目に、ベルナデッタは彼の部屋に入って扉を閉めた。
「嗚呼、言いたいことはわかっていますとも」
 ベルナデッタには何も言わせたくないのか、ヒューベルトは口を開きかけたベルナデッタを制するように切り出した。
「じゃあ、どうして。ベルたちはただ偵察を頼まれて、その帰りなだけですよ」
「ええ、ですから。では、その偵察において、私たちは何か見つけることはできましたかな?」
 ヒューベルトは室内に火も灯していない。すっかり闇に包まれた部屋に彼の闇色の衣服がどっぷりと溶け込んでいる。ベルナデッタはヒューベルとの問いかけに返す言葉がなく、続く言葉が出てこなかった。
「できてませんけどぉ、お、お化けとかカンケーないじゃないですか」
「先ほどのご自身の言葉をよもやお忘れだと」
「あれはただ・・・」
「ただ?」
 ベルナデッタは唇を窄めて、ヒューベルトから目を逸らした。彼と議論をしてもそもそも勝てる気がしない。
「私たちの目的としたものはそこにあるかもしれません。貴殿の推測はなかなか良い線をいっているのですよ。そこは褒めているのですが、伝わっていないようですな」
「あんまり嬉しくないです」
 もっとほかの事でわかりやすく褒めてくれないものか。しかし、何に対して彼に褒めて欲しいのかはベルナデッタ本人にも分からなかった。
「貴殿が行きたくないというのであれば、私一人でも参りましょう」
「ベルはそういうことを言いたいわけじゃなくて、なくてぇ」
 ベルナデッタは自分の手をにぎにぎと重ね合わせながら、いい淀んだ。
「お化けが恐ろしいのですか? くくく」
「わかってるのなら言わないでください」
 ヒューベルトは何でもお見通しという様子で、喉を鳴らすように笑った。意地の悪さを感じさせるその声音に、ベルナデッタの心はどんどんといじけてくる。
「ですから、無理強いはいたしません。貴殿はこの宿で休まれているといいでしょう」
「そんなわけにはいかないです。ヒューベルトさん一人で行かせるだなんて!ベル、そんなに冷たい人間じゃないです」
「なるほど」
 ヒューベルトはそういうと、ベルナデッタの方に向き直った。
「それでは、夜の外出と参りましょうか? ベルナデッタ殿」
「え、えっ?えええ? なんかよくわかんないですけどぉ」
 状況がよく分からずに戸惑うベルナデッタをよそにヒューベルトは楽しげだ。目の前に差し出された白い手袋はベルナデッタの手を待ち望んでいるようにもみえた。しかし、彼はひとときも休まずにそもそも外出するつもりだったのだろう。だから、ベルナデッタが訪れた時には彼は全く寛いでいなかったのだ。ベルナデッタがこうして部屋を訪れてくることは彼の予想の範囲内だったとしても、そうでなかったとしても彼は一人で出かけるつもりだったのだろう。そう思うと、少しばかりベルナデッタの胸はちくりといたんだ。
「エスコートしてくれるのはうれしーんですけど、もっといいところに行きたいです」
 ベルナデッタがヒューベルトの手のひらに自分の手をそっと乗せると、彼は思いの外優しい力でベルナデッタの手を包み込んだ。ベルナデッタはヒューベルトの横顔を見上げた。彼の青白い僅か窪んだ頬からはどんな感情も読み取れそうにない。触れ合った部分がほんのりと暖かく、ユーリスに手を引かれていた時のようなそんな感情がベルナデッタの胸の内に生まれたのだった。

 二人揃って宿の主人と妻に一言申し入れ、宿をでた。彼らには素性は伝えておらず、さしずめ旅の傭兵だと思っているようだった。このお化け騒ぎのせいで街道沿いのこの村を避けて旅をする人が増えているようで、生活のこともあるだろうから、先々の不安で主人の妻の方には隠しきれない疲労が滲んでいた。彼らの神にも縋るような表情を背に受けて、ベルナデッタはヒューベルトの少し後を続いた。
「ところでベルナデッタ殿に渡しておきたいものがございます」
 村から街道にでるところで、ヒューベルトは足を止めた。
「渡しておきたいもの?」
「屋敷ともなると、貴殿の弓は使えますまい。ですから、護身用としてこちらを」
 ヒューベルトの手にあったのはなめした革の鞘に包まれた小ぶりのダガーだった。
「あっ、ありがとうございます」 
 ベルナデッタはヒューベルトからダガーを受け取ると、両手でぎゅっと握り締め、抱え込むように胸に押し当てた。
「何があるかわかりませんからな。私のそばを離れないように」
 お化けだったらこんなものは通用するのだろうかと思いながら、ベルナデッタはゆっくりと頷いた。ヒューベルトの足手纏いにだけはならない、と覚悟を決めて、歩き出したヒューベルトの後にベルナデッタは続いた。

 お化けがでるという廃屋敷は街道ぞいからやや外れたとこにあるということで、二人は森に飲み込まれていった。風が吹けば樹々に生い茂った葉が擦れ合う音をたて、夜行性の鳥類の低い鳴き声が不規則に響いている。緊張で息を詰まらせていたところで、刹那、ベルナデッタの頬をざらりと何かが撫でた。
「ひゃー、ひゃあああ!! で、出たああああ!」
 ベルナデッタは飛び上がってヒューベルトに強くしがみ付いた。
「貴殿の声の方が驚きます。全く・・・」
「ううう、ご、ごめんなさい」
 もうすっかり帰りたくなっている。夜行もなかったわけではないが、大集団で移動するのと、ヒューベルトとたった二人で行動するのでは全く勝手が異なる。お化け、という得体の知れない話も手伝っていて、ベルナデッタの頭はすっかり恐怖で覆われている。
「まぁ、仕方ありませんな。そうしていたいのであれば、しばらくそうしているといいでしょう」
 邪魔だと払われるのかと思いきや、ヒューベルトは僅かに言葉を切ったのちにそういって何事もなかったかのようにベルナデッタを伴って歩き始めた。
「あ、ありがとうございます」
 震える手でヒューベルトの衣服を握り締めたまま、ヒューベルトの横顔を見上げた。
「ですが・・・このようなことは、くれぐれも他の方にはされないように」
「へっ?」
 ヒューベルトの言葉の真意が分からなかったが、彼はそのことについてはそれ以上説明をしたくないようだった。