聞いてないです、と胸に顔を埋めるベルナデッタはまるで駄々をこねるこどものようにも思えなくはない。両腕でその身体を包むように閉じ込めたまま、その丸く形どられた頭をみおろして、ヒューベルトは口元を緩ませる。
「その指輪、お気に召しませんでしたか」
「違いますよう、そんなんじゃないです。だって、だって……」
ベルナデッタは顔を埋めたまま額をこすりつけ、反抗するようにぎゅっとヒューベルトの衣服を握りしめた。衣服を掴む手はこれでもかと小さい。小枝のような華奢な指で彼女は戦場で弓をひき、幾度となく人の命を狩っているのだ。誰がそれを信じるだろうか。ヒューベルトは自身の衣服を握りしめるその手を見つめてそう思った。
「あたし、ヒューベルトさんに何もお渡しできるものなんてないのに」
ベルナデッタは顔を上げて首を左右に振る。その両の目には大粒の涙が、下瞼で辛うじて堰き止められていた。
「結婚の申し込みとして、お渡ししたものです。ですからお返しなど結構です」
でも、と続くのかと思いきや、そうでもないらしい。ベルナデッタは再び顔を埋めてしまった。その愛らしい顔を見ることは叶わず、ヒューベルトはどこか残念な気持ちを抱えながら、赤子をあやすようにその背中を撫でる。ヒューベルトには、ベルナデッタの行動の真意が分からなかった。結婚の申し込み自体が嫌なのか。指輪のデザインが気に入らなくて泣いているのか。はたまたどうしたのか。人の感情など知りたいと思うことがないヒューベルトだったが、今はベルナデッタの心の内が知りたいと感じている。
「う、嬉しいんです」
もしや結婚の申し込みがお嫌なんですかとヒューベルトが言い出しかけたところで、もうすっかり涙声のベルナデッタは、震える声でヒューベルトの黒衣に向けて告白した。
「あたし、嬉しくて、あたしなんかが…… ほんとに、そんな」
ベルナデッタが泣いて、嬉しい。不謹慎なこの感情は、これから先もそうないだろう。彼女の泣き顔は、常に不器用な自分へ刃となって向かってきたというのに。それが、今日という日は冷え切ったヒューベルトの心を照らす灯のようだった。
「何かしなきゃって、でも…… それが分からなくて」
尋ねる相手を間違っている。ようやく顔をあげたベルナデッタから零れ落ちる大粒の涙を親指で掬いあげるように拭うと、健気な彼女の気持ちにヒューベルトは自然と目を細めた。
「貴殿が―― いえ、貴女がいればそれで」
僅かに身体を屈めて、ベルナデッタの様子を確認するように覗き込む。驚いたかのように両目を見開いた彼女の涙が魔法にかかったかのようにぴたりと止まった。
「……それで?」
そう言って、ベルナデッタはお預けをくらった子犬のような瞳で見つめかえしてきた。矢張り言わなければならないのか。事務的に指輪を渡して、契約を結ぶときのように書面を差し出したのは、確かに不格好で情けない。
「私の伴侶になっていただけないでしょうか、ベルナデッタ」
味気のない結婚の申し込みの言葉だ。フェルディナントであればもっとベルナデッタを喜ばせるような言葉で飾りつけるのだろう。味気ない言葉を紡いだ自分自身に、ヒューベルトは呆れるしかなかった。
「はい、よろしくお願いします」
ベルナデッタは蕾から一気に花開いたかのように頬を桃色に染め、これまで見た中でも一番愛らしい微笑みを浮かべた。その様子を視界に収めるや否や、疲労も、これから追うべき責任も、全てがどうでもよくなった。
「ところでいつまでそれを眺めているつもりですか」
ため息なのか何なのか分からない吐息に、言葉にならない声を織り交ぜながら、ベルナデッタは窓際の椅子に座ったまま、手を翳している。
「あたし、ヒューベルトさんに結婚を申し込まれたんですよね」
「ええ、そして、それに貴女は同意した、と」
まるで事情聴取のようだ。事実を確認して満足したのか、ベルナデッタは再び手を翳して、夢心地の表情で陽に照らされた指輪を眺め続けている。
彼女は知らない。
その指輪の裏側に彫られた、ヒューベルトの愛の真実を。それをいつ彼女が気が付くかどうかは分からないが、絶対に外さないと豪語している彼女が気が付くのはずっと先のことになるだろう。
満たされた気持ちに胸が熱くなるのを感じながら、ヒューベルトはほろ苦いテフを口に含ませた。