ナイフとブーケ

「ヒューベルトさん?」
「ええ、ヒューベルトです」

 これでもかというぐらい各人から祝いの言葉や贈り物を受けたその帰りのこと。誕生日会と題された集まりには顔を出さなかったその人が、ベルナデッタを呼び止めたのだった。通路は等間隔で明かりが灯されているものの、月明かりが差し込まないところ薄暗く、黒ずくめの彼はすっかりそこに馴染んでいた。ベルナデッタは目を窄めて、じっと声の方を凝視すると、ヒューベルトはぬるりと闇から抜け出してきた。
 
「ええっとぉ・・・・・・ ベル、何か頼まれたことを忘れたりしましたっけ」

 一言でいうと気まずい、それに尽きた。ベルナデッタは両手を胸の前で組み合わせ、記憶をたどろうとして目を泳がせる。

「いいえ、そういった用事ではないのですが」
「そうなんですか、良かったぁ」

 ヒューベルトの物言いがやけに曖昧なのが気になったが、彼から叱責されることがないことがわかり、ベルナデッタは大袈裟に息を吐き出した。

「やはり私が声をかけるとそのようにとらえられてしまうのですか。まぁ、仕方があるまい、クク・・・・・・」
「ヒィ、こ、怖い。一人で勝手に笑わないでください。ベルには何のことやら全然わかりません!」
「確かに、これは失敬」

 ヒューベルトは笑うのをやめると、ベルナデッタに向きあった。今度は何だと、ベルナデッタは左足を一歩後ろに引いた。逃げるつもりはないが、よからぬことしか浮かばない。用事を言い渡されるとか、素行の面で注意されるとか、もしや先日提出した報告書に重大な欠陥があるのか、などといくらでも思い浮かんでしまう。
 それに先ほどからヒューベルトの片側の手が後ろ手になっていて、手元が見えない。あり得ないことだが、処されるのではないかと不安になってきた。

「それでええっと、な、何でしょうおか」
「そのように身構えなくても良いのでは、いえ。仕方ありませんか」

 だってその手はなんですか、と問いただすことができればどんなに気楽だろうかとベルナデッタは思った。
 相手は宮内卿ヒューベルト、帝国の影の守護者。彼に帝国に仇なす人物だと見定められた人に明日はない。何も後ろめたいことがなくても、士官学校やフォドラ統一戦争を乗り越えた仲だとしても、彼が容赦しないことは十分理解している。だからこそ、後ろ手に何を手にしているのか気になってしまい、身体が自然と硬くなってしまう。

「そんなに引っ張らないでくださいよう。また笑ってるしい。ベルには全然わかりません」
「悪い話ではないかと思いますが。いえ、私のようなものから渡されても困りますか」

 ヒューベルトが一人勝手に話を切り上げ、踵を返そうとしたのでベルナデッタは思い切り彼の外套を掴んだ。

「待ってください、困るか困らないかはベルが決めます」

 ヒューベルトは半身の状態のまま動きを止めると、ベルナデッタに小さな花のブーケを差し出した。
 ナイフじゃない、それがベルナデッタの最初の感想だった。

「あの、これは、えっと」

 どこからどうみても花だった。
 この時期に花を咲かせる植物は少なく、ブーケを注文するのも大変なはずだ。温室育ちか、帝国よりも温暖な気候の地域から取り寄せるか、いずれも思いの外費用がかかるということはベルナデッタも承知している。

「貴殿の誕生日にと・・・・・・ その、柄にもないのですが」

 珍しく動揺しているのか、ヒューベルトは言い淀んでベルナデッタから目を逸らしている。ベルナデッタはしばしの間呆然としていたが、ヒューベルトの手からブーケをそっと受け取った。

「私のような者から贈られてもご迷惑ではないかと、そちらに何か仕込んであるとかそう言ったものではなく、その本当に・・・・・・  ああ、うまく言えませんな。いらないのなら捨てていただいても結構ですので。貴殿には普段から色々とお世話になっておりますし、胸飾りのこともございますし・・・」

 ヒューベルトは自分自身に苛立ったのか、片側の目を隠すように垂らした前髪を掻き上げ、悔しげに顔を歪めている。

「あの、このブーケをベルに?」

 ベルナデッタは花弁に顔を寄せて、僅かに瞼を伏せるとすん、と香りを嗅いだ。

「ええ、そうです」
「あの、ほんとにベルに?」

 今起きていることが現実で起こっていることだと受け止めきれず、ベルナデッタはヒューベルトに同じ質問を繰り返した。エーデルガルトにでも渡したいものを代理で、ということはないだろうか、ヒューベルトが贈り物をするなど聞いた事がない。彼が贈答品の類で人心を掌握するタイプではなく、極めて珍しいことには違いなかった。

「ええ、貴殿に。その、贈りたいと、私が・・・・・・」

 ヒューベルトが不慣れなことをしようたしているのは一目瞭然だった。その必死さと切実さに、ほろ、と不意に片側の瞳から涙が溢れる。
 ヒューベルトには淡い感情を寄せてはいたものの、彼からは見向きもされないと思い込んでいた。戦後も彼との繋がりはあったが、実にそっけなく、それでいて特別なものは何一つとしてなかった。たかが誕生日の贈り物だとしても、それが男女の好意によるものではなくても、胸がいっぱいになって苦しくなるぐらいにベルナデッタにとっては大きな出来事だった。

「どこか痛いのですか? もしやブーケに棘が・・・」

 ヒューベルトはいつになく慌てた様子だった。かがみ込んで様子を見ようとするヒューベルトを安心させようと、ベルナデッタはゆっくりと頭を振る。お礼を言いたいのに、唇が震えてうまく言葉にできそうにない。しばらく涙をポロポロとこぼしたまま、迷惑ではないことを伝えようと首を振り続けた。

「ああ、大丈夫ですか? ベルナデッタ殿。私が余計なことをしたから」
「そ、そうじゃない、んです」

 ベルナデッタはようやく感情を声に乗せた。

「嬉しくて、あたし。あたしなんかにヒューベルトさんが選んでくださっただなんて。いつも忙しくしてるし、今日もいらっしゃらなかったから。あたしの誕生日なんて確かにヒューベルトさんには関係ないですし、だから、その、贈り物を用意してくださってたなんて信じられなくて」
「申し訳ありません。皆の前ではどうにも気恥ずかしく。らしくはありませんが、しかし真実です」

 ヒューベルトの手袋がベルナデッタの涙を吸う。ぎこちない手つきだったが、彼の優しさがひしひしと伝わってくる。僅かにのぞく彼の耳はほんのりと赤く、いつになく必死に自分の感情を伝えようとしているようだった。ベルナデッタはまぶたを伏せると、少し息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

「嬉しいです」

 ベルナデッタはヒューベルトの指を優しく包み込むと、ヒューベルトは安堵したのか、困り顔のまま薄く笑んだ。

「お気に召していただけましたか」
「はい、でもぉ」

 ベルナデッタは気持ちが軽くなってきた。臆病なくせに時に大胆になるのはいつものこと。自分から一歩、踏みこんてみたくなった。

「でも?」
「ベル、勘違いしちゃうかもしれませんよ。いいんですか?」

 問いかけに少し間を置いて、ヒューベルトがふ、と吹き出す。

「ええ、結構ですよ。貴殿が望むのなら、拒む理由などございません。どうぞご自由に」

 その言葉を聞くや否や、ベルナデッタはヒューベルトにしがみつくように身体を寄せた。人によっては物足りない言葉でも、ベルナデッタにとっては十分だった。
 恐怖が頂点に達して気絶した相手とこういう結末を迎えるだなんて、きっと著名な占い師でも当てることは困難に違いない。応じるように抱き止めるヒューベルトの温もりに満たされながら、ベルナデッタはそう思うのだった。